<ふくしまの10年・東京で暮らしていく>(2)ホテルで避難生活

2021年3月10日 07時37分

閉館後、避難施設として使用されたグランドプリンスホテル赤坂=2011年3月、東京都千代田区で

 老朽化などを理由に二〇一一年三月末に閉館したグランドプリンスホテル赤坂(東京都千代田区)が解体までの三カ月間、福島からの原発避難者を受け入れる東京都の施設として活用されることになった。
 東京都庁なども手掛けた故・丹下健三氏が設計したホテルの、思わぬ形の「第二の人生」だった。
 当時、宿泊部門の責任者だった門脇万里子さん(55)=ザ・プリンス京都宝ケ池勤務=は、閉館後も引き続き避難者の受け入れなどを担当することになった。
 非日常を演出する華やかな空間だったロビーに洗濯機が運び込まれ、最初は不思議な気持ちがした。
 「避難してきた子どもたちが徐々に明るくなって、会話を交わすようになったことが印象に残っている」という。入社以来、ずっと勤務して愛着があり閉館を寂しく思っていた。人々の生活の場となった最後の三カ月も深く思い出に刻まれている。
 いわき市から避難した、ゆかりマルシャンさん(49)は、避難施設となったこのホテルで四月から暮らした。一緒に避難していた両親は、都会暮らしになじめず、いわきに戻った。
 新学期が始まっているのに、娘たちを学校に通わせられないことに負い目を感じていた。一緒に公園にいて、ランドセルを背負った近所の子らを見ると、切なかった。
 両親からは「子どもたちは放射能かぶっちゃってるから東京にいろ」と言われていたが、戻るという選択肢も頭をよぎった。
 四月後半だったと記憶している。番町小学校(同区)でホテルにいる避難者対象の説明会が開かれた。体育館には、学校が保護者から募ったのであろうランドセルや洋服のお下がりが並び「ご自由にお持ちください」と書かれていた。
 全部置いて逃げてきた。心遣いが胸に染みた。「学校に行かせられる。勉強させてあげられるんだ」とほっとした。
 ◇ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ

関連キーワード


おすすめ情報

ふくしまの10年の新着

記事一覧