取り戻したはずの青い空…あの日から再び曇ったまま<平和の俳句・震災10年>

2021年3月11日 06時00分
 東日本大震災や原発事故の記憶、亡くなった方々への鎮魂の思いを受け継ぐため、「平和の俳句~震災10年」として本紙に寄せられた3268句の中から、句に託した思いを聞きました。
青い空灰色なまま十年(ととせ)過(す)ぐ
 伊東達也さん

避難者が身を寄せた自宅隣の共同作業所の前で「10年前のあの日も曇り空だった」と話す伊東さん=福島県いわき市

◆何度も危険性訴えてきたのに

 「とうとうやっちゃった!」。2011年3月12日午後5時、福島県いわき市にある伊東達也さん(79)の自宅玄関ドアを蹴破るかのように、友人が飛び込んできて、叫んだ。
 声の主は、福島県楢葉町の宝鏡寺住職、早川篤雄さん(81)だった。その1時間ほど前、東京電力福島第一原発で1号機原子炉建屋の上部が水素爆発で吹き飛んだのを、伊東さんもテレビで見た。東電や国に地震と津波対策の必要性を何度も何度も訴えてきた2人。「私も同じ思いでした」
 高校教員だった20代、いわき市小名浜の化学工場による大気汚染問題に取り組んだ。その後、市議になり福島第二原発の建設反対に携わった。
 「原発事故は小名浜公害と比べ、どうなのか」。50年近く前に開かれた原発の勉強会で、東大医学部助手だった安斎育郎さん(80)=立命館大名誉教授、放射線防護学=に質問すると、答えは「比べようがありません」。衝撃的だった。

◆患者押し寄せ「戦場」に

 大気汚染から取り戻したはずの青い空。しかし原発事故後、伊東さんの目には再び曇ったままだ。「そういえば、あの日は夕方から雪がちらついたかな」。自宅前で見上げた。
 伊東さんは震災時、いわき市の浜通り医療生活協同組合の理事長を務めていた。「思い出すと、今でも興奮して話してしまう」。激しい揺れの直後に市中心部を回り写真を撮影した。運営する小名浜生協病院には、多くの患者が押し寄せ「戦場」と化した。
 自宅隣にある障害者の共同作業所に、早川さんと一緒に避難してきた身寄りのない障害者12人を受け入れた。市外の避難先が見つからなかった市内の障害者13人も身を寄せた。「被ばくさせてしまうのではないか」。伊東さんは、いわきにとどまった決断に苦しんだ。

◆東電と国の責任 司法の場で追及

 13年3月、原発事故で避難を余儀なくされたいわき市民とともに、東電と国の責任を追及する訴訟を起こし、1500人を超える原告団の団長を務める。提訴から8年、原告のうち65人が亡くなった。
 訴訟は今月26日、福島地裁いわき支部でようやく判決を迎える。ただ、同支部では同じ裁判長が2月に別の訴訟の判決で、津波対策を先送りした東電の責任を認めなかった。
 「結果は覚悟しているんです。でも『事故は起きない』と言い張ってきた東電と国に、加害者としての責任を認めさせるまでは、絶対にあきらめない」(小川慎一)

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