<ふくしまの10年・今の思いは>悲しみの水脈から森を育てる

2021年3月11日 07時30分
 二〇一一年三月十一日の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から十年。こういう時に「節目」という言葉が使われることがある。一区切りという意味が含まれる。連載「ふくしまの10年」で福島の人々の取材を続けてきて「区切り」はついていないと感じる。
 震災前、飯舘村で牛を飼っていた長谷川健一さん(67)は「何も元に戻っていない。バラバラにされたまんまだ」と言う。避難指示が解除されても、故郷に戻るのは高齢者が大半。二世代、三世代のにぎやかな暮らしは失われた。
 長谷川さんら酪農家は、放射能汚染で牛を処分したり手放したりのつらい判断を迫られた。仲間の菅野重清さん=享年(54)=は一一年六月、「原発さえなければ」と堆肥小屋の壁に書き残して自殺した。
 原発さえなければ、失われなかったかもしれない命。取材では、近しい人たちの死について何人もの人から聞いた。将来を悲観して自殺した先輩農家。避難所を転々とするうち、体調を崩して亡くなった妻や夫…。三月五日現在で福島県の震災関連死は二千三百二十人。地震や津波による直接死の死者数を上回る。
 里山の放射能汚染は回復に百年単位の年月を必要とする。住宅の無償提供が打ち切られ、孤立と困窮を深める避難者が首都圏でも暮らす。
 津波や避難でできた空き地に太陽光パネルが林立することに複雑な思いを抱く人もいる。都市の電力を地方が支える図式は原発事故前と変わらないからだ。
 大きな喪失の責任の所在が明らかになったとはいえない。国や東電を相手に集団訴訟が全国で続く中、原発再稼働は進む。
 十年前の三月十一日から、私たちの社会は悲しみとともにある。目に見える形での「復興」が進んだとしても、ひそやかな水の流れのように存在し、絶えることはない。同じ悲しみを生まない社会、より良い社会をつくるにはどうすれば良いのか。その問いに向き合い続けたい。
 南相馬市小高区で旅館を営む小林友子さん(68)は「目先だけじゃなくて、次の世代のことを考えて『待つ』ことも必要。今すぐ、今すぐではなくて」と話す。目先のコスト優先で原発事故という破綻を招いた社会が忘れてはいけない教訓がそこにある。時間はかかる。悲しみの水脈から「森」を育てる営みともいえる。十年という年月で区切ることはできない。(「ふくしまの10年」担当・早川由紀美、山川剛史)

◆吉田恵美子さん(63)

「10年がピンポイントで存在するわけではない。さまざまな課題はこれからも長く続く中、コロナで埋没しかねない境目と感じている」
<8月11日~「コットン畑は紡ぐ」原発事故で生じたいわき市の耕作放棄地などで綿栽培を展開>

◆長谷川健一さん(67)

10年たっても何も元に戻っていない。バラバラにされたままだ。農地はある程度回復させたが、育てたソバは安い。家族だってバラバラのままだ」
<11月10日~「元牛飼い2人の軌跡」飯舘村の元酪農家。ソバ栽培で農地保全に尽力>

◆鈴木邦弘さん(47)

何の節目でもないし、何も終わっていない。首都圏は福島第一原発の電気に頼ってきた。遠い地で起きた事故ではなく、わが事と受け止めれば風化しない」
<6月30日~「見えない放射能を描く」被災地を描き続けるイラストレーター>

◆原発作業員ハッピーさん

「10年たつ今も事故収束作業の真っただ中なのを自覚せず、あの日の記憶が一番薄れてきているのは東電かもしれない」 
<9月22日~「イチエフあの時 事故発生当初編」事故当初から福島第一原発で作業し情報を発信し続ける>

◆大和田新さん(65)

「須賀川市の農業用ダム藤沼湖決壊で8人が犠牲になった。慰霊碑に行方不明の1歳の男の子ら2人の名は刻まれていない。家族に10年の節目などない」 
<3月12日~「詩になったアナウンサー」震災当時、ラジオ福島のアナウンサー>

◆郡信子さん(59)

「こないだの地震で一気に10年前に引き戻された。立ち直ってなかった。災害時の障害者のことを行政も真剣に考えてくれるようにはなった」
<6月2日~「『消えた障害者』を捜して」南相馬市で取り残された障害者を救出>

◆小林友子さん(68)

「若い人と街づくりができるようになった。次世代のことを考えて(判断を)『待つ』ことも必要。地球がだめにならないように」
<3月31日~「お先に花を咲かせましょう」避難で人が消えた南相馬市小高駅前で花を植え続けた>

◆坂本勝利さん(83)

「富岡町の自宅の除染が始まる予定だが帰還困難区域の解除はまだ先。被災当時、帰れるのは10年先かとため息をついたが、あっという間に過ぎた。道は遠い
<6月16日~「牛に罪があるのか」拒否し続けた牛の殺処分を受け入れた>

◆江代(えしろ)正一さん(72)

震災直後の停電の夜に見た星空の美しさに安らぎを覚えた。10年たっても思い出す。恐怖の後、ほっとした。生きててよかったと
<5月19日~「マスター、もう少し聞かせて」事故後の市民生活を客の記者らに伝えた福島市の居酒屋店主>

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