<ふくしまの10年・東京で暮らしていく>(5)夫婦の夢の畑 奪われ
2021年3月13日 07時24分
福島からの避難者たちを悩ませているのは住宅問題だ。無償提供が段階的に打ち切られているためだ。
避難指示区域外からの避難者は一番早く、二〇一七年三月に打ち切られた。公営住宅の抽選に落ち続けるなどで、次の行き場が見つけられない所帯もある。東雲住宅(東京都江東区)など国家公務員住宅については一九年からは家賃の二倍の損害金を請求されたりしている。昨年末には、避難者の親元などを福島県の職員が訪れたり、手紙を出したりして、退去させるよう促すことも行われた。
田村市から避難した熊本美弥子さん(78)=東京都葛飾区=は、避難の協同センターの世話人として県との交渉などに当たり、原発避難者が安定した住まいを得られる仕組み作りを訴える。現在の法制度の問題点などを指摘するうえで消費生活相談員をしていた経験が生きている。しかし原発事故前に思い描いたのとは随分、違う人生だ。
神奈川県に住んでいた熊本さん夫婦は定年後に田舎暮らしをしたくて田村市で土地を買い、家を建てた。「子育てをしていた一九七〇年代は公害がひどい時期だった。安全な食べ物を自分たちで作って食べたいという思いがあった」
夫婦で二百坪をくわで耕し白菜や大根などの野菜を栽培した。一部は林のまま残してナメコやシイタケなどを育てた。自生していた栗の実で甘露煮を作り、栗まんじゅうにするのも楽しかった。
鶏ふんや敷きわら、山の木の葉を集めれば、いいたい肥ができて、いい野菜が採れた。〇七年に夫が亡くなった後も畑作業をして暮らした。時間をかけて豊かにした畑の土は原発事故後の除染作業でごっそりとはぎ取られた。
「悔しいというのがある」。畑は夫婦の夢の結実だった。十年という月日が、人々の無念を解消するわけではない。 =おわり
(早川由紀美が担当しました)
◆最終シリーズを3月16日から掲載予定です。
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