誰も住んでいない地域の記憶つなぐ「大字誌」 福島の双葉、浪江両町にまたがる両竹地区で
2021年3月16日 06時00分
誰も住んでいない福島県のある地域の歴史や文化をまとめた冊子が、2019年から毎年1冊ずつ発行されている。双葉、浪江両町にまたがる両竹 地区。東日本大震災と福島第一原発事故の前まで70世帯ほどが暮らしていたが、あの日を境に住民の姿が消えた。被災前からの人々の営みの記憶を残そうと10年間で10冊を目指す取り組みは、ルーツをたどろうとする両竹ゆかりの人たちの反響を呼んでいる。(福岡範行)
◆地図にない地名の伝説も
「境内は夏には盆櫓 が立ち、いか焼きや焼き鳥などの店も出て、住民の多くが楽しい夜を過ごした所」。10年前の3月11日、津波から逃れた40人余りがみぞれ降る夜にたき火を囲んだ諏訪神社について、「大字誌 両竹」にはそうつづられている。
編集を担う双葉町の両竹地区出身の泉田 邦彦さん(31)は「両竹を震災という枠組みだけで見てほしくない。楽しかったこと、面白い魅力がいっぱいある」と語る。
地元の人は口にするが、地図には載っていない地名「タロベヤマ」に、金の鶏が埋まっているという伝説―。80~90ページの大字誌の各号は、知る人ぞ知るネタが満載だ。
◆記録を残すのは「恩返し」
泉田さんは茨城大3年のとき、帰省途中に寄った福島県大熊町の弓道場で被災した。原発事故による被ばくを避けるため、家族の生死も分からぬまま避難用のバスに乗った。お年寄りが「私たちは食べられないから」と数個しかないおにぎりやパンを分けてくれたりと、いろいろな人が助けてくれた。地域の記憶の継承は「自分なりの恩返し」という。
両竹地区の住民も避難でばらばらになり、地域で受け継がれてきた文化は途絶えかねない。祖母倭文子 さん(86)らを通じて住民の避難先を調べ、12年10月から聞き取りを始めた。
最初は浪江町の70~80代の男女3人に、福島市の仮設住宅で話を聞いた。「自分の家は流され、語り継げるものはなくなっちゃった。記録を残してもらえるのはありがたい」との女性の言葉が、今も胸に残る。
18年4月から宮城県石巻市職員として働く傍ら、東北大大学院博士課程で歴史学を研究してきた。石巻沿岸の巨大な堤防を見たとき、被災前にあった生活を全く想像できなかった。
「当たり前の日常の断絶を知らないと、災害の深刻さも伝わらない」
◆変わる風景 つなぐ思い
両竹地区も震災後、田畑に太陽光発電所が建設されたり、県の復興祈念公園の整備が始まったりと風景は大きく変わり、大字誌にかける思いは強くなった。
19年12月、第1号を両竹住民に配った。一般向けにも1冊1000円で販売したところ、「先祖のルーツの一つなので子どもに伝えたい」と買ってくれる人がいた。意外な反響に驚いた。
事故から10年、当時の子どもたちは避難先を地元と感じているかもしれない。昨年10月に生まれた泉田さんの長女彩那ちゃんは、両竹を知らない。「両竹を故郷だと思えなくても、先祖からのつながりを考えてもらえたら」と願う。
7年後の第10号には、娘に大字誌の感想文を書いてもらいたいという。「どう受け止めてくれるのかな」。そう語る頬が緩んだ。
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