<あの日から 東日本大震災10年>福島・双葉町記録に残す 朝霞の堀切さん 避難者の姿ドキュメンタリー映画に

2021年3月16日 07時13分

避難者の女性にビデオカメラを向ける堀切さん=加須市の旧騎西高で

 家庭用の小さなビデオカメラで、揺れ動く心情を拾う。堀切さとみさん(55)=朝霞市=はこの十年、東京電力福島第一原発事故で県内に避難を余儀なくされた人たちを追いかけてきた。その姿をドキュメンタリー映画にまとめ、各地で上映。丹念な記録によって、記憶の風化を押しとどめようとしている。 (近藤統義)
 何台ものテレビカメラに交ざり、レンズを向ける。福島県双葉町から約千四百人が身を寄せていた加須市の旧騎西高校。「当時もメディアや地元の人たちが殺到していた」。堀切さんは今月六日、校舎前に建てられた記念碑の除幕式を撮影しながら十年前を思い出した。
 普段の仕事はさいたま市の給食調理員。学生時代から成田闘争や公害など社会問題を扱うドキュメンタリーに関心があった。二〇〇八年に市民メディアを養成する講座を受講し、自らが撮る側になった。
 それから三年後の原発事故。「記録せよ」という本能に突き動かされた。福島県からの避難者らに開放されたさいたまスーパーアリーナ(さいたま市)で炊き出しのボランティアに加わり、声を集めた。
 双葉町が役場機能ごと移った旧騎西高校にも通いつめた。そこで聞いたのは故郷への愛着や、日常が奪われた苦悩。同時に「原発とともに生きてきた」との自負や、東電への感謝を口にする町民も少なくなかった。意外だった。
 「観念的ではない、双葉の人だからこそ出てくる言葉があった。被ばくを避けるため遠くに避難して良かった、というだけでは済まない問題があることを知った」。そんな複雑な思いも、そのまま映像に残した。
 一二年に映画「原発の町を追われて」を発表。県外避難の長期化を巡る町民の分断や、大切に飼っていた牛と引き離された農家に焦点を当てた続編も撮った。一七年に三部作として完成させ、上映会を全国で二百回近く重ねている。
 双葉町は昨年三月に避難指示が一部解除され、来年春には住民の帰還を目指す。「復興」に向けた一歩だが、「国策によって強制的に避難させられ、帰れるようになったから今度は帰ってこいと。町民たちは翻弄(ほんろう)され続けている」。堀切さんの目にはそう映る。
 カメラを片手に避難者のもとを訪ねると、こんな言葉が返ってくる。「生きているのか死んでいるのか、いまだに分からない状態で生きているんだよね」。事故から十年たっても、重い現実は横たわったままだ。
 双葉町はどこへ行くのだろう−。映画を締めくくるナレーションで、こう問いかけた。事故はまだ終わっていない。「記録に残してほしい」という町民の願いがある限り、その行く末を見届けようと心に決めている。

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