原発事故のドキュメンタリー制作 映画監督・鎌仲ひとみさん 放射線から子どもたちを守るために

2021年3月16日 17時16分

保養で訪れた北海道で食卓を囲む親子ら=2013年(鎌仲さん提供)

 1998年から核問題にだけ特化した映画を作って来た。そもそもはイラクで劣化ウラン弾の影響を受けたと思われる白血病やがんの子供たちとの出会いからだった。当時は全く、被ばくのメカニズムを知らなかったが映画を作るために学び、多くの専門家の話を聞き、文献も読んだ。そして、いかに自分が無知だったのか、に打ちのめされた。

◆「被ばくゼロ」決めつけが足かせに

 原爆と原発事故によって起きる被ばくには大きな違いがある。微細な放射性物質を身体の中に取り込むことで起きる内部被ばくの影響が過小評価されて来たということを私は映画制作の過程で理解した。だから、東京電力福島第一原発事故で私が真っ先に考えたのはいかに近隣住民を被ばくから守るのか、ということ。特に子供たちを早く避難させなければと思った。
 ところが現実は全くそうではなく、避難指示も、放射線防護も不十分なものだった。日本ではチェルノブイリのような事故は起こり得ないというのが「原子力村」の常套句、故に事故への備えも不十分だった。事故前に取材した避難訓練は必ず、被ばくはゼロと決められていたことを思いだす。
 事故直後から私の電話にどうしたらいいのか、避難すべきかどうか、という問い合わせが殺到。政府は「ただちに健康に影響はない」と言っている。判断に迷った人たちに私はまずは避難するように、と勧めた。しかし、福島県内には30万人以上の子供たちがおり、放射性物質がどこまで飛散しているのかという情報もはっきりしていなかった。

◆避難させる意志のない政府

 それでも、相当の放射性物質が飛散していることは想像できた。当時、東京の映画館で私の「ミツバチの羽音と地球の回転」が公開中だった。あの時点で、存在した唯一の原発に関する映画、ということで、観客が殺到したが、私は人々が映画館に来ることで被ばくをするリスクを回避しようと、一時的に上映中止を劇場と相談して決めた。
 やがて、政府は人々を広範囲に避難させるつもりがないことがはっきりして来た。春休みが終わり学校が始まると同時に子供たちは学校に戻され、高い放射線があるグラウンドで授業をさせられた。子供たちをも被ばくから守らない政府の姿勢は明確に示された。
 2011年の6月ごろから撮影を始め、まず「内部被ばくを生き抜く」を製作した。これは情報が錯綜する内部被ばくについての教育的な映像で劇場公開よりも、上映権付きでDVDを販売したことで、日本中で上映会が広がった。その後、福島で子供たちを被ばくから守ろうと奮闘する母親たちと、チェルノブイリの取り組みを一本にまとめた「小さき声のカノン」を作った。

◆母親たちの声が全国での保養運動に

 いくら政府や権威が安全だ、健康に影響がない、と言ってもかつて全くなかった放射性物質が地域に降り注いだのだ。心配しない訳がない。しかし、心配する声をあげれば、すなわち風評被害と批判されるような風潮が蔓延していた。母親たちの心配する声は小さな、ささやきのようなもの。だけどその声に呼応するように全国で子供たちの保養運動が広がって行った。映画は小さな声を拡散する拡声器のような役割を果たしたかもしれない。とはいえ、全国で120以上の市民グループが保養を提供したが、この恩恵を受けることができた子供たちは全体から見ればごくわずかだ。

◆なすべきことは、まだまだある

 被ばくの被害は個人差も大きく、影響が出て来るのに時間がかかる。因果関係を証明する科学的な方法も確立されていない。だから、被害者は泣き寝入りしがちだ。チェルノブイリでは35年後の今も子供たちの健康被害が報告されている。
 子供たちを被ばくさせないために、できること。それはまず年間1ミリシーベルトを超える地域に暮らす子供たちを移住させる。できないなら健康対策を施すこと。つまり、定期的に保養させるということだ。それからメンタルなケアも必須だろう。なすべきこと、できることはまだまだ山積みだ。それはすべからく私たち大人の意志にかかっている。

  かまなか・ひとみ 1958年、富山県生まれ。早稲田大卒業と同時にドキュメンタリー映画制作の現場へ。他の主な作品に「ヒバクシャ世界の終わりに」(2003年)、「六ヶ所村ラプソディー」(06年)、「ミツバチの羽音と地球の回転」(10年)など。

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