福島と牛と震災遺産

2021年3月17日 07時39分
 連載「ふくしまの10年」の取材で福島の人たちと話していると、牛の話をよく聞いた。
 いわき市の山間地の集落では昔はどの家も一頭か二頭牛を飼っていたという。肉として売ったり、繁殖させて子牛を売ったりしていた。田んぼの土手の草は冬の飼料とするため、奪い合いだった。
 浪江町の山間地にある津島地区に戦後入植した開拓民の家族は、父親が乳牛の乳をふもとまで売りに行き、買ってもらえなかった時に家まで持ち帰ったことを覚えていた。「重いのに、なぜ捨ててこなかったの」と尋ねると「家の畑にまけば肥やしになる」と言われたという。別の開拓民の家では乳牛七頭を飼って酪農をしていたが、すべて売って石材業を始めた。「失敗したら夜逃げすっぺな」と家族で話し合っての決断だった。
 必死に土地に食らい付いて生きていく暮らしの中で、牛は頼りになる存在だったのだろう。東京電力福島第一原発事故で避難を余儀なくされた牛飼いたちは、辛(つら)い決断を迫られた。
 福島県立博物館で収集、保全している震災遺産の一つに、空腹に耐えかねた牛がかんだ牛舎の柱のレプリカがある。杭(くい)に残るぎざぎざのかみ跡は、置き去りにせざるを得なかった人の心の傷のようにもみえる。これを後世に残す「遺産」とした学芸員たちの意思や眼力に敬意を表したい。 (早川由紀美)

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