<ふくしまの10年・科学者 未来への伝言>(2)最悪想定し最善尽くせ
2021年3月17日 07時40分
楢葉町の宝鏡寺に「原発悔恨・伝言の碑」を建てた安斎育郎・立命館大名誉教授(80)は、十五人しかいない東京大学原子力工学科の一期生。「原子力が利用できるかどうかは、安全に制御できるかどうかにかかっている」と考えて放射線防護学を専攻した。博士論文は、外部被ばく、内部被ばくの線量評価がテーマだった。
工学博士だが一九六九年に東大医学部助手に採用された。所属は放射線健康管理学教室。研究を進める中で、原発建設予定地の住民と語り合う機会が多く、原発開発の是非に思いを巡らせるようになったという。
三十二歳の時に日本学術会議の原発問題シンポジウムで基調講演をし、原発の「六項目の点検基準」を提案した。経済開発優先主義の否定、住民と労働者の安全の実証的保障などを挙げた。その後の原発批判のよりどころにもなった。
「東大原子力工学科一期生として、原発を進める高級技術者となるべきなのに、国家の期待に反した」と警戒されるようになった。
「いい人だった」主任教授は、教室員に安斎さんと話さないように指示し、授業からも外された。東京電力の医師が研究室に加わり、安斎さんの隣に座って監視した。八六年、東大助手から立命館大教授に移った。週刊誌に「『ガラスの檻(おり)』に幽閉17年」という記事が出たこともある。
立命館大では平和学も教え、国際平和ミュージアム館長も務めた。定年の日の直前、東日本大震災が起きた。
原発事故が起き、安斎さんはマスコミに「原発を推進してきた人に伝えたいことは」と問われて「隠すな。ウソつくな。過小評価するな。そして最悪を想定して最善を尽くせ」と答えた。的確だったが、生かされたとはいえない。
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