<センバツ甲子園>三島南、粘りの2点 鳥取城北に敗れる

2021年3月21日 07時14分

2−6で敗れ、スタンドにあいさつする三島南ナイン=いずれも甲子園球場で

 第九十三回選抜高校野球大会二日目の二十日、二十一世紀枠の三島南(三島市)は、第二試合で鳥取の鳥取城北と対戦し、2−6で敗れた。三島南は二回、冨岡創選手(二年)の犠飛で先制。先発の植松麟之介投手(同)は、打たせて取る投球やバックの堅実な守備で四回まで得点を許さなかった。五回、送球ミスをきっかけに3失点したが、簡単に相手に流れを渡さず、六回には小堂湧貴選手(三年)の適時打で1点差に追い上げ粘った。だが九回にも3点を失い、創部百年目、夢舞台での初勝利はならなかった。

◆小堂湧貴選手(3年) 亡き父へ「約束は守った」

6回裏、1点差に迫る適時打を放ち、笑顔の小堂選手

 「お父さん。約束守ったよ」。小堂湧貴選手(三年)は、甲子園のグラウンドに立った瞬間、六年前に五十二歳で亡くなった父俊樹さんに思いをはせた。
 小学二年で地元のソフトボールチームに入った。俊樹さんと毎朝、百球ほどの投球練習をするのが日課だった。三島市から東京に通勤していた俊樹さんの帰宅は遅く、母初美さん(55)は「仕事の疲れはあったはず。でも、子どもと過ごす時間が大好きだった」と振り返る。小堂選手も「僕の暴投で内出血しても、球を受け続けてくれた」。
 二〇一三年秋、俊樹さんは大腸がんと診断され「余命三カ月」が宣告される。命が尽きるまで家族との時間を大切にすると決めた。小堂選手との練習も続け、試合にも足を運んだ。一四年夏には家族全員で東京ドームにプロ野球観戦に出かけた。
 小学生だった小堂選手が「僕が甲子園に行く」と励ますと「頑張って生きるからな。行ってくれ」と笑顔で応じた。約一年半の闘病の末、一五年二月に亡くなった。
 俊樹さんの死後、小堂選手の練習は熱を増した。中学から野球に転向。一人でも、自主練習を続け実力は伸びた。昨秋から4番を任されている。
 大舞台で六回、2点目となる適時打を放った。守備でも併殺を完成させるなど躍動。「課題は残ったけど、楽しい場所だった。お父さん、もう一度この場所に来るよ」。試合後、俊樹さんに語りかけた。父との新しい約束ができた。 (渡辺陽太郎、山手涼馬)

◆監督・主将コメント

<三島南・稲木恵介監督> 緊張もあったはずだが、持ち味を出すことができた。プレーだけでなく、いろいろな取り組みが評価されここまで来た。多くの人に支えられて野球ができていると理解し、大きく育った選手の姿を、今後の大会で見せていければと思う。
 伊藤侍玄(じげん)主将 二十一世紀枠でも、地区大会を勝ち進んできたチームに対抗できた。スタンドからの応援や気持ちもしっかり届いた。盗塁など積極的なプレーもできたので、次に生かしたい。

◆在校生、うちわ手に応援 「積み重ねたこと出た」

 三島南高校(三島市)では希望した在校生の一、二年生百三十一人が体育館で、大型スクリーンを前に選手たちのプレーを見守った。声援は送れなかったが「三島南」と書かれたうちわを手に観戦。得点したり好プレーを見せたりすると、拍手で盛り上げた。
 ともに二年生の広瀬耀大(ようだい)さん(17)は「先制した時は普段の力を出せていると思った。負けたけど、今まで積み重ねたことを出してくれたと思う」と振り返り、渡辺紗南さん(17)も「頑張ってくれたのでうれしい。みんな生き生きとしていた。お疲れさまと伝えたい」と選手たちの活躍をたたえた。 (山中正義)

◇<熱球府>深瀬暖人(はると)選手(2年) 秋の失策 堅守で返す

 初回、深瀬暖人(はると)選手(二年)が守る遊撃に強烈なゴロが飛んだ。難なくさばき正確に送球する。一塁手はほとんど動かない。「夢舞台でも緊張はない。そのために練習してきた」。守備の要として無失策だった。
 昨秋の県大会準決勝の初回。一塁への悪送球で先制点を許した。「相手に流れを渡してしまった」と悔やんだ。原因は連戦の疲れと分析した。冬に走り込んで体力を強化、キャッチボールにも時間をかけ送球を磨いた。
 二回には、投手がはじいた打球を冷静に処理。直後の三回、投手のけん制をきっかけに一、二塁間での挟殺プレーにも参加した。「さまざまな状況で自分はどう動くか。頭を使って練習していた。自然と体が動いた」と成長を実感した。
 四回には強烈な打球がグラブをかすめ、外野に抜けた。記録は安打だが「動き出しが遅い。捕らなければいけない打球だった」。課題も明確になった。「甲子園でも自信を持ってプレーできた。さらに成長して、夏は静岡王者として戻ってきたい」。 (渡辺陽太郎)

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