東日本大震災で夫は患者を守ろうとして津波に…お気に入りだった雑貨や本に囲まれた喫茶店を家族で営む

2021年3月23日 13時00分
 最近、「ありがとう」と夫との楽しい思い出を語れるようになってきた。仙台市の鈴木裕子ゆうこさん(63)は、東日本大震災で夫の孝寿こうじゅさん=当時(58)=を亡くした。孝寿さんは勤務先の病院で患者を懸命に守ろうとして、津波にのまれた。裕子さんは6年前に喫茶店を開業。震災から10年たち、夫も好きだったアンティーク雑貨に囲まれた店を息子や娘と営みながら、今をいとおしむ。 (神谷円香)

家族で営む喫茶店で、壁面に雄勝石を飾ったストーブと、鈴木孝寿さんの蔵書を前に座る(左から)裕美さん、良寿さん、裕子さん=仙台市宮城野区で

 孝寿さんは宮城県石巻市出身。大卒後、外科医として各地で勤務した後、1998年に故郷に戻り、震災当時は同市雄勝おがつ町の市立雄勝病院の副院長だった。
 雄勝は、夫妻が暮らす市中心部近くの自宅から車で40分ほどの小さな湾に面した地区。孝寿さんは、黒く光沢のある名産の雄勝石を屋根に用いた家並みが好きだった。

遺族らが雄勝病院跡地に立てた犠牲者64人の慰霊碑=宮城県石巻市で(2013年11月撮影)

 2011年3月11日、雄勝地区は壊滅的な被害を受けた。海沿いの一本道に民家が並び、病院もすぐ目の前が海。津波は3階建ての病院をのみこんだ。入院患者40人は全員が死亡、職員も24人が犠牲になった。患者を避難させようと必死だったという孝寿さんの遺体は、数日後に浜に打ち上げられた。
 裕子さんは、家族としては「逃げてほしかった」と思う一方で「医療従事者は皆、患者を救おうとするもの」と理解する。
 震災時、裕子さんは1人で自宅にいた。長男良寿よしひささん(35)、長女裕美ひろみさん(33)は離れて暮らしていた。「寂しく、余震のたびに怖かった」。ふさぎ込み、手入れしていた庭も荒れた。
 そんな時、裕子さんの祖父母が住んでいた秋田県横手市の家にある築100年の蔵を処分する話が出た。「壊すのはもったいない」。活用を考え、仙台市に住んでいた裕美さんの勧めもあり、15年、仙台駅にほど近い場所に蔵を移築し喫茶店を開いた。
 店には、夫婦が好きだったアンティーク雑貨や、本格的な大工仕事が趣味だった孝寿さんが作った机、遺品の蔵書などを並べた。石巻の家にあった孝寿さんお気に入りのストーブは移せなかったが、同じデザインで再現した。ストーブの壁面で光るのは雄勝石だ。
 ぬくもりのある店は人気を集めて忙しくなり、良寿さんも裕美さんも一緒に働いてくれるようになった。店の名前は「TiTiティティ」。フランス語で「いたずらっ子」の意味だが、「父」とも読める。
 今は3人で、孝寿さんの話を明るく話す。「気難しいけど愛情深い人だった」「ここに欲しいって言ったらぴったりサイズの棚を作ってくれた」。家族が一緒に笑って過ごすのを、孝寿さんも喜んでくれていると思うから。

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