「日本の幼児教育の父」に学ぶ、子どもとの向き合い方 倉橋惣三協会が本格始動

2021年3月25日 12時00分
 「日本の幼児教育の父」と呼ばれ、大正から昭和にかけて活躍した教育家、倉橋くらはし惣三そうぞう(1882~1955年)の親族や研究者らが「倉橋惣三協会」(東京都文京区)を設立した。現代に通じる倉橋の思想や子どもとの過ごし方を知ってもらい、保育の未来を考える活動に乗り出す。協会メンバーらは「日々、子どもと向き合い、子育てに悩み、喜ぶ人たちにも役立つ内容に」と発信を目指す。 (小林由比)

子どもたちと写真に収まる倉橋惣三=大正末期から昭和初期、現在の東京都文京区で(お茶の水女子大付属幼稚園提供)

 現在のお茶の水女子大の付属幼稚園長だった倉橋は遊びや生活を重んじた。子どもは「自ら」育つ存在だとして、自発性を促す保育論を立てた。その視点は、現在の保育所保育指針や幼稚園教育要領にも反映されている。親や保育者に向けて、子どもとの向き合い方を伝えた著書も多い。
 倉橋の理念と語りを受け継ぎ、新たな実践の場をつくろうと「倉橋惣三協会」は昨年6月に発足、今年から本格活動する。倉橋の孫である倉橋和雄さん(71)=文京区=や、区立お茶の水女子大学こども園の宮里みやさと暁美園長ら約10人が加わった。今後、倉橋の人柄や保育論を分かりやすく伝えるイベントを開き、保育現場の研修も支援する。伝記の出版計画もある。
 倉橋を研究してきたお茶の水女子大の浜口順子教授=保育・児童学=は「保育や幼児教育の専門家でない人にも加わってもらい、就学前教育のあり方を考える場をつくりたい」と話す。

 倉橋惣三(くらはし・そうぞう) 1882年静岡県出身。小学生のときに母と2人で上京し、浅草で少年期を過ごす。東京帝国大では心理学を専攻。1910年に東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大)講師に。17年には教授となり、同校付属幼稚園主事(園長)に就く。48年に日本保育学会を設立し、初代会長。「日本の近代幼児教育の父」と呼ばれる。著書に「育ての心」「幼稚園真諦」など。

◆自発的な遊びで資質を伸ばす…浜口教授に聞く「倉橋の教え」

浜口順子・お茶の水女子大教授

 日本の幼児教育の歴史と現代をつなぎ、保育の未来を展望する活動を、昨年発足した「倉橋惣三協会」(東京都文京区)が本格化する。メンバーで、倉橋の研究者である浜口順子・お茶の水女子大教授に、その思想や協会設立の狙い、就学前教育の意義を聞いた。 (小林由比)
 ―なぜ今、「幼児教育の父」として知られる倉橋惣三を見直すのでしょう。
 日本社会では乳幼児期の育ちがいかに大切か、ということが十分理解されていない。だが、大正、昭和初期から幼児教育の重要性を説いていたのが倉橋だ。
 中でも強く言っているのが、この時期の遊びの重要性。幼児期の遊びや教育は、小学校以降の学習につながるかどうか、という視点から語られがちだが、幼児期に必要なのは、自分からやりたいと思う不定型の遊びをたくさんしておくこと。それは小学校以降で大切な学ぶ意欲にもつながる。自発的な遊びの中から子どもの資質を伸ばしていくことを訴えた倉橋の指摘は、今の子育てでも大切だ。
 ―保育所や幼稚園などで、倉橋の教えは生かされていますか。
 倉橋が繰り返し説いた「子ども1人1人を見る」というのは、今も保育現場でのキーワードだ。これも、小学校以降の「集団の中の個」という概念とは違い、ありのままの子どもを、人と比べたりすることなく、その子として尊重するということだ。
 ―大人の役割とは。
 自発的な遊びには、自由とともに、子どもが安心して遊び始め、集中していけるような環境を用意することが大事。倉橋は、大人が子どもを自分の思い通り動かそうとしていないか、自分の都合で子どもを理解していないか、子どもを低く見るような高慢さはないか、とも問うていて、今子どもと向き合う私たちも考えさせられる。
 だが近年、日本の保育現場は規制が緩和され、施設の面積や保育者の配置が不十分な施設もあり、保育者にも余裕がない。子どもの遊びを深めるためには、子どもと触れ合う時間以外に、先生同士が話し合ったり、考えたりする時間も必要だが、なかなかできていない。研修や文化的な素養を高める体験も大事だが、そうしたことが重視されていないことも大きな課題だ。
 ―協会は何を目指して活動していきますか。
 倉橋の優れていたところは、現場の保育者や親の心に響く言葉でその理論を伝えていること。100年以上前に幼児教育の充実に尽くした倉橋の言葉は、現代の子育てに悩む人たちにも響くものだと思う。社会全体で幼児期の子育てを大切にする機運を高めていくために活動していきたい。

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