<カジュアル美術館>版画集「愛」より9番 モーリス・ドニ 町田市立国際版画美術館

2021年3月28日 06時28分

1899年 リトグラフ、紙 41×53センチ

 黒のワンピースを着て片肘をついてうつむく女性。思いにふけっているのか、はにかんでほほえんでいるのか。テーブルの上で一輪のバラをもてあそぶようなしぐさが色っぽい。
 フランスの画家モーリス・ドニが、一八九九年に発表した十二枚の版画集「愛」の一枚。女性のモデルは妻マルトだ。首筋から肩回りの肌を照らす淡い黄色のランプの灯が、多色刷りリトグラフの技法で柔らかに表現されている。
 「愛」はドニが結婚前にマルトへの思いをつづった日記をもとにしている。いわばラブレターを絵にしたような、文字どおり愛にあふれた連作。本作の「私たちの魂はゆっくりとした動作の中に」という長いタイトルは、日記の言葉から引いている。小さな部屋には世間の喧噪(けんそう)は届かず、二人だけの甘美な時が流れている。そんなシーンを思い浮かべる。
 ドニが参加した「ナビ派」の画家たちは、室内の絵を好んで描いた。「愛」を所蔵する東京都町田市立国際版画美術館の高野詩織学芸員は「十九世紀のパリは近代化、産業化が進んだ。世紀末になると、アーティストは目まぐるしい社会の変化から逃れるように、家族や友人とのプライベートな日常への関心を深め、閉ざされた室内を心落ち着く『隠れ家』として表現した」と説明する。
 面食らうほどのフラットな描写だ。「平面」であることはナビ派のモットーだった。理論家のドニは「一定の秩序の下に集められた色彩で覆われた平坦(へいたん)な表面」を描くと宣言し、グループを引っ張った。ステンドグラスや劇場の舞台美術など装飾芸術でも才能を発揮し、「絵画は装飾であるべき」とも言っている。ドニらは従来の西洋美術にない新しい画法に「啓示」を受けた者の自覚から、ナビ派(ナビはヘブライ語で預言者)を名乗ったのだった。

版画集「愛」より10番「青白い銀の長椅子の上で」 1899年 リトグラフ、紙 53×41センチ

 「愛」の別の作品「青白い銀の長椅子の上で」でも、マルトの服の格子や花柄のカラフルなデザインが再現され、ドニのこだわりがうかがえる。平面的で装飾的な趣向は、浮世絵から漫画、キャラクターにいたる日本の二次元文化とも通じる。近年国内では、ナビ派の“かわいい”センスに萌(も)えるファンが増えている。
 ドニは信心深いカトリック信者で、宗教をテーマにした作品も多く残した。妻への愛情も神への信仰心も、心の奥底のごく私的な思いという点では同じ。マルトがどこか神秘性をまとっているのも、そのせいかもしれない。
◆みる 町田市立国際版画美術館は小田急線・JR横浜線町田駅から徒歩15分。「私たちの魂はゆっくりとした動作の中に」「青白い銀の長椅子の上で」は、企画展「アーティストたちの室内画 見慣れない日常」で4月11日まで展示中。午前10時〜午後5時(土日は午後5時半)。一般800円、高校・大学生400円、中学生以下無料。月曜休館。
 文・栗原淳
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