<ひと ゆめ みらい>勤労者の音楽団体で副会長務める 坂口美日(みか)さん(60)=豊島区

2021年3月29日 06時38分

保育士として、母親として「原発のない未来を子どもたちに残したい」という思いを胸に歌う坂口美日さん=千代田区で

 「ぼくら生きている この地球に 原子力発電は 必要ないのさ」
 国会議事堂の南、首相官邸に向かう「茱萸(ぐみ)坂」の入り口で毎週金曜日の夜、「脱原発」を仲間と伸びやかな声で響かせる。勤労者の音楽団体「日本音楽協議会」としての活動は二〇一二年九月に始まり、今年三月で約四百十回を超えた。
 レパートリーは百曲以上。童謡を替え歌にしたものもあれば、仲間が一から作詞作曲したオリジナル曲も。仲間が作った歌を自らが脱原発の歌詞にアレンジしたものも数曲ある。
 原発の歌を初めて披露したのは、東京電力福島第一原発事故から半年後の一一年九月。東京・明治公園で開かれた「さようなら原発五万人集会」でのデモ行進だ。自分たちの歌を、参加者が口ずさむ姿を見た時「歌で思いを共有できる」と感じた。だからこそ、自分の作る歌詞は、誰もが口ずさめる言葉を慎重に選ぶ。「事故でふるさとを失わなければ、ここまで一生懸命にならなかった」
 福島県葛尾村出身。二十一歳で故郷を離れ、保育士として東京で働いていたが、毎夏、家族とともに帰省するのが何よりも楽しみだった。
 実家は原発から三十キロ圏内にあり、震災直後、両親は東京に避難。村全域が避難区域になった。二年三カ月ぶりに帰省すると、庭の草が生い茂り、自宅内部は地震でぐちゃぐちゃのまま。道端には黒いフレコンバッグがびっしりと置かれていた。
 「家の周りがやたらと静かで虫の声は大きく聞こえ、道端に咲く花が通常よりきれいに見えた。こんなに自然が美しいのに故郷に帰れないのは信じられなかった」。迷った末、一九年三月、自宅を取り壊した。
 事故から十年。故郷をなくした喪失感などを、自分の中で二曲の歌にした。けれど未発表のままだ。「ただのお涙ちょうだいにしたくないけど、どうしても感情的になってしまう。自分がまだこの問題に整理がついていないから」。事故は終わっていない。いまだ、政府が原発を「ベースロード電源」と位置付けることに怒りを感じている。
 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、外で歌う回数は減った。代わりに、仲間やミュージシャンから脱原発をテーマにした動画を集め、オンラインで公開するなど工夫している。「私はこれからも歌い続ける。原発がひとつも動かなくなるまで」 (山下葉月)
<さかぐち・みか> 1960年7月生まれ。武蔵野市に避難していた父、小島力さんが、故郷を思った詩集「わが涙滂々」の出版を機に、葛尾村など現地視察するツアーを開催。現在も同市内の「フクシマを思う実行委員会」との共同主催で継続している。ギターやフルートの演奏も。

関連キーワード


おすすめ情報

東京の新着

記事一覧