<トヨザキが読む!豊﨑由美>戌井昭人 「ダメ」な人への温かいまなざし 彼の小説の住人になりたい

2021年3月29日 07時29分
 戌井昭人(いぬいあきと)の小説がフィーチャーするのは、間が抜けていたり、だらしなかったり、易(やす)きに流れがちだったり、向上心に欠けていたりと、困った人ばかり。実際そばにいたら迷惑に思うかもしれません。でも、戌井さんの視線は温かい。世の中で「ダメ」とされる人や、「いらない」と捨てられてしまうような事物に向けるまなざしが肯定的だから、読んでいると気持ちが穏やかに均(なら)されていくんです。

壺の中にはなにもない NHK出版・1540円

 たとえば、『壺(つぼ)の中にはなにもない』(NHK出版)。主人公の勝田繁太郎は一流陶芸家・繁松郎の孫なのですが、絵に描いたようなでくの坊なのです。いいとこのボンボン然と礼儀正しくのんびりした気質。茅ケ崎にある祖父の別荘で猫とボケっとしている時に幸せを感じるような二十六歳。無欲の塊で、やりたいことがないから何をさせてもうまく出来ない。コネで入った有名ギャラリーでも、資料をコピーする仕事くらいしかこなせず、祖父の作品を一千万円で購入した京都の金持ちに届けに行けば、不注意から割ってしまうようなボンクラ。
 なので、祖父が亡くなればギャラリーもクビになって、別荘近くで見つけた発明家の研究所で営業の仕事に就くんです。で、ピンを破壊するほどの勢いで転がるボウリング球といったヘンテコな発明品を携えて営業の旅に出るのですが…。
 「壺の中にはなにもない」から、そんなものに大金を払う客はバカみたいだと思っていた繁太郎が、その心境をどう変化させていくか。意外な展開を楽しみに読み進めてください。あまりの無能ぶりに最初は呆(あき)れていても、戌井さんの温かい筆致に導かれて繁太郎を好きにならずにはいられなくなるはずです。

さのよいよい 新潮社・1980円

 最新作『さのよいよい』(新潮社)の語り手<わたし>は、しがない脚本家。心根は優しいけれど三十七歳バツイチの甲斐(かい)性のない系ダメ男が、記憶が混線状態と化した祖母からあることを頼まれて、かつて菩提(ぼだい)寺に起きた凄惨(せいさん)な事件の詳細を調べていくんです。ミステリーの妙味を備えた本作にあっても、うまくいかない人生をダメなりに生きている人間に、戌井昭人が向けるまなざしは優しい。イヤなことやつらいことがあったら<燃やしちゃうんだ。そんで自分の踊りを踊ればいいんだ>、「さのよいよい」と自分で自分に合いの手を入れながら。そんな風に、ささやかに励ましてくれるんです。誰かの小説の住人にしてあげると言われたら、迷わず戌井作品を挙げる所存です。
<とよざき・ゆみ> 1961年生まれのライター・書評家。「週刊新潮」「婦人公論」などさまざまな媒体に連載を持つ。主な著書に『ガタスタ屋の矜持(きょうじ)』『まるでダメ男じゃん!』『ニッポンの書評』、『文学賞メッタ斬り!』シリーズ(共著)、『石原慎太郎を読んでみた』(同)など。
*次回は4月26日掲載予定です。

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