新幹線の公衆電話 ケータイに押され「終着」 列車初設置は近鉄 鉄路走り続け60年

2021年4月2日 07時14分

1960年に旧国鉄の在来線特急に設置された列車公衆電話(出典「写真で見る国鉄90年」)=鉄道博物館提供

 着信だ−。いそいそと座席を立ち、デッキへ。するとトンネルで電波は圏外。車内の公衆電話でかけ直すと、テレホンカードの度数がどんどん減って、ドキドキ…。こんな体験はもうできない。JR各社は今年6月に新幹線の公衆電話を廃止すると決めた。サービスが始まって60年余。昭和の名残がまた一つ消える。
 昨年十二月、山形新幹線の六つのトンネルで携帯電話の利用が可能になり、全国の新幹線で携帯の不通区間が解消。おまけに車内の公衆電話の利用は、携帯の普及と相まって、一九九九年度の七百四十三万件から、二〇一七年度は十万件へと激減し、これらが廃止の引き金になった。
 公衆電話と鉄道の縁は古い。NTT技術史料館(武蔵野市)によれば、当初は電話局に設置された公衆向けの電話が、初めて外に飛び出したのは一九〇〇年。上野駅と新橋駅に「自働(じどう)電話」としてお目見えしたという。
 列車デビューは五七年。近畿日本鉄道によれば、同社の特急専用車に設置したのが日本初の列車公衆電話という。鉄道沿いに設けた基地局と車上の電話を無線で結んだ。かつて公衆電話の代名詞だった「赤電話」が世に出てから四年後のこと。列車サービス向上の一環で、同系統の車両には、同じ年に車内冷房や座席で聞けるラジオも付いた。

1954年に登場した、初の鋼鉄製の公衆電話ボックス「丹頂形公衆電話ボックス」=武蔵野市のNTT技術史料館で

 六〇年には、国鉄(現JR)東海道線のビジネス特急「こだま」「つばめ」に登場。交換手を介した通話で、電話のかけ方の説明書きも添えられた。特別車「パーラーカー」ではボーイがポータブル受話器を持参、座席の端子につないで話せるサービスもあった。
 東海道新幹線では、開業翌年の六五年に利用開始。東北・上越新幹線では八二年の開業と同時に利用できた。搭載される電話は、プッシュホンやテレホンカード対応などの登場に応じて更新されてきた。
 九〇年代後半には携帯の普及が加速したが、トンネルなどで通話が途切れることもあった。そんな時は、トンネル内も含め、線路沿いのケーブルで電波を送受信する列車公衆電話が活躍した。
 通話料金は、平日昼間の百六十キロメートルまでの通話だと六・五秒で十円、より遠方への通話だと四・五秒で十円。テレホンカードの度数がどんどん減るわけだ。NTTコミュニケーションズによると、現在はJR東海の四百九台を筆頭に、新幹線が走るJR五社で計九百四十三台が設置されている。

JR東日本の新幹線車両「E5系」に設置されている公衆電話(同社提供)

 だがいよいよ、役目を終える。六月七日以降、徐々に電話機の電源を落とし、同三十日にはサービスを終了する。NTT技術史料館の担当者は「使われなくなってしまうものも、さまざまな人が開発に携わってきた。その熱量に思いをはせてほしい」と語る。
 ちなみに全国の公衆電話も八四年度の約九十三万五千台をピークに減少し、二〇一九年度には十五万一千三百十三台。NTT東日本が一八年にインターネットで実施した調査では「公衆電話を知らない」と答えた小学生が27・3%と三割近かった。
 同社は、携帯頼みで公衆電話のかけ方を知らない世代が増えたとみて「受話器をとる」「お金かテレホンカードを入れる」とウェブサイトやリーフレットでPRに力を入れる。六十年前の特急「こだま」の電話のように、使い方の説明がいるほど、公衆電話は日常から遠くなったようだ。
 しかし、十年前の東日本大震災の直後には、携帯電話の不通で公衆電話に長蛇の列ができた。NTT東日本の加藤大樹(だいき)さん(26)は「災害時でも通信規制の対象にならず、停電時も通話可能なタイプがある。公衆電話のある場所を覚えておいてほしい」と話した。
文・梅野光春/写真・佐藤哲紀
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