世界がもっと見える 詩と散文を行き来する 荒川洋治さん(現代詩作家)

2021年4月3日 14時00分
 「詩人」の代わりに「現代詩作家」を名乗るようになって、ちょうど四半世紀がたつ。荒川洋治さん(71)=福井県坂井市出身=は、自身の詩のスタイルを更新しながら、文芸時評やエッセーなども精力的に書いてきた。昨秋には、エッセー八十六編をよりすぐった『文学は実学である』(みすず書房)が刊行された。詩と散文の言葉をどう行き来しているのかを聞いた。
 <宮沢賢治論が/ばかに多い 腐るほど多い/研究には都合がいい それだけのことだ(中略)「美代子、あれは詩人だ。/石を投げなさい。」>。一九九〇年代、生誕百年を控えて宮沢賢治のブームが起きたころに書いた詩「美代子、石を投げなさい」の一節だ。七一年の第一詩集『娼婦論』から、鮎川信夫賞を受けた『北山十八間戸』(二〇一六年)まで、社会に向けて鮮烈な言葉を投げかけ、詩壇に新風を吹き込んできた。<外地をなくして/線の意識が希薄になった(中略)弟と妹はひごろから「領土」に敏感で/国境線の問題に目をとがらせる>(二〇一一年、「外地」より)のように、歴史や国内外の社会問題を扱った詩も多い。
 荒川さんにとって一編の詩は、一つの事柄だけを表現するものではない。たとえば社会問題を題材にする場合も、今起きている問題だけでなく、歴史や文化背景、宗教など、多様な要素を頭の中にたたえ、形が見えてくるまで巡らせ続ける。「見えてくる可能性に懸けている」。書き出すまでは長い時間をかけるが、文字にし始めると、三時間ほどで形になるそうだ。
 自身の詩は、批評でもあり、エッセーでもあり、物語でもあると思って書いている。「たまたま詩の形をしているけれど、一編の文学作品を書いている意識」。一九九六年に初めて「現代詩作家」を名乗った。九〇年代に入って社会的な事物に関心を深め、社会につながる意識をもって書き始めたことで「詩人」の呼称が窮屈になってきたからでもある。
 デビュー当時からエッセーを精力的に執筆。六年ほどたつと、活動の場は文芸時評にも広がった。デビューから半世紀、幅広い執筆を続け、エッセーや評論集は四十冊近く刊行した。
 散文は「社会に入っていってこそ意味が生まれる」。読む人に通りが良く、染み込んでいくように書くべきだと考える。「詩では、自分を捨ててまで社会と結び付かなくていいが、散文は違う」。理路整然と伝えるため、例えば物が見えた順番を入れ替えるなど手を加える。
 個を抑えてつづる散文の言葉は、ときに「問題を割り切りすぎて、隙間や底流にある現実をくみ取れないことがある」。一方で、個人の言葉やリズムで記録していく詩の言葉は、散文が見逃すあいまいなところ、あわいにあるものの中に入っていける瞬間があると感じている。創作者として「詩の言葉と散文の言葉とが対立したり溶け合ったりするプロセスを持っていた方が、世界はよく見える」という感覚で、詩と散文を行き来する。
 現代を「社会的なもの、散文的なものの支配が強い時代」と捉え、その意味でも詩と散文の両方が必要だと語る。「詩の言葉だけに目を向けていると、社会を見失う恐れがある。でも割り切れるものばかりを受け取る散文の言葉だけだと、個人が希薄になっていく」
 大学の教壇にも立ち、四年前までは愛知淑徳大(愛知県長久手市)の教授として、学生に詩を教えた。長いキャリアの中でも「今ほど文学が読まれなくなるなんて思っていなかった」と逆風を感じている。選集の表題作に選んだ代表作の一つ「文学は実学である」に書いたのは、現代の社会問題の中を生きていくのに、文学こそ実際に役に立つ実学だという、荒川さんの答えだ。
 とはいえ時代は変わってしまった。「今までの批評の言葉は、今の読者に対しては無力になっている」ことを認め、批評が変わる必要を痛感する。「興味を持たれなくなってしまったんなら、高いところから言っていないで、文学の面白さを伝えることからしなきゃ」 (松崎晃子)

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