<炎上考>ジェンダー不平等を女性の個人的努力の問題にすり替えたパイ投げ動画広告 吉良智子

2021年4月8日 06時00分

動画では女性の顔にパイが命中する(イラスト・川端乙大)

 毎年話題を呼ぶ、西武・そごうの正月広告。クリエイティブさが特徴なのだが、2019年の動画広告は批判が集まった。映像には、俳優の安藤サクラが演じる女性が登場。周囲から次々とパイが投げつけられる中を歩いていく。そこに「女だから、強要される。女だから、無視される。女だから、減点される」というセリフが流れる。その前年の財務次官のセクハラ問題や、医大の女子受験生への減点操作を想起させる言葉だ。
 後半はさらにショッキング。「女であることの生きづらさが報道され、そのたびに、『女の時代』は遠ざかる」。そんなセリフが流れた瞬間、顔にパイが命中。女性はそのまま後ろに倒れる。「活躍だ、進出だともてはやされるだけの『女の時代』なら、永久に来なくていいと私たちは思う」。女性を応援するようなセリフと、被害を受ける映像との落差が大きい。
 そして「時代の中心に、男も女もない」「来るべきなのは、1人ひとりがつくる、『私の時代』だ」「わたしは、私」などの文字と音声が流れ、最後はクリームまみれになった女性が顔をぬぐう場面で終わる。
 最大の問題点は、女性にパイを投げる人物の姿を映さないことである。パイが投げられている=生きづらさを表現していると考えるのが妥当だが、現実社会にこの動画を置き換えると、その投げ手は男性優位の社会構造である。ところがこの動画ではそんなジェンダー不平等なシステムを解体しようとメッセージを送るどころか、「男も女もない」と問題をぼかしてしまう。そして「わたしは、私」と、ひたすら女性の個人的努力による「私の時代」の創出を促すのである。
 「わたしは、私」というメッセージは、一見ポジティブなようで、ジェンダー不平等の問題を女性の個人的努力の問題にすり替えている。つまり「女であることの生きづらさ」を「社会のせいではなく、ひとえに私の努力不足のせいです」と女性に発話させているのだ。これぞ森発言でいうところの「わきまえた女」でなくて何であろうか。

 きら・ともこ 美術史・ジェンダー史研究者

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