言葉に打ちのめされ 被災地を歩いたルポ『ゼロエフ』刊行 古川日出男さん(小説家)

2021年4月10日 14時38分
 福島県郡山市出身の小説家、古川日出男さん(54)は東京で「復興五輪」が開かれるはずだった昨夏、徒歩で福島県を縦断し、被災地の人々に話を聞いた。秋には「歩き足りていない」と阿武隈川沿いを宮城県の河口まで歩き、自らの内なる声に耳を傾けた。計三百六十キロを踏破した体験は、東日本大震災から十年となる今年三月、初のノンフィクション『ゼロエフ』(講談社)として結実。「書いたことのない文学の荒野に入っていけた」という取材と執筆について尋ねた。
 「言葉というのは、この世界にとって貨幣みたいなもの。皆が正しいと思う形をしていないと交換し合えない」「だから紋切り型の言葉だけが、メディアを通じて流通している。それを超えるような言葉を出すと『偽札だ』と言われちゃう」「被災者の人たちが苦しいのってそこだと思うんだよね。今感じていることが伝わらない。そのまましゃべったら『偽札』って言うんでしょ、と」
 古川さんの言葉には、力がある。こちらの居住まいを正させ、思考を促してくる。三月下旬、東京・渋谷の書店で開かれたオンラインイベントの収録に立ち会い、あらためて実感した。
 その古川さんが、福島の人々の言葉に、何度も打ちのめされたのだという。周囲から異端視されつつも、原発被災の語り部として活動する女性。津波で娘を亡くし、それでもまた海に戻った遊漁船の船長。人の数だけある震災後の物語に耳を澄ませ、また歩いた。宿舎での夜は「とにかく寝られなかった」という。「人の話は残るから」
 イベント終了後、新刊についてさらに話を聞いた。古川さんのルポの書き方は独特だ。重要な出来事は時系列を無視して<稿を改める>。文体は整頓されず、取材時の混乱をとどめている。被災者の大事な話を聞いても、<私には大切すぎるものなので書けない>としまい込む。「『書けない』と書くことで、残したんだと思います。例えば、復興した被災地に遺構が残っていれば、ここには見えないけれど、ひどい被害があったと伝わる。それと同じことを、文章でしたという意識があります」
 作中では、自らのルーツとも向き合った。シイタケ農家の次男という出自を明かし、原発事故後に受けた出荷制限について親族に取材した。少年時代に川で溺死しかけた際の生々しい記憶や、<捨てたかった>という故郷への複雑な心境も記した。「自分のオブセッション(強迫観念)を明らかにするのは、表現者なら本当はやっちゃいけないこと」と苦笑いする。「でも、迫っていくしかなかった。活字にせざるを得なかった。そうでないと、被災地で人々の死を題材にルポなんてできなかった」
 旅先での思索は自らの記憶と混ざり合い、「歩き直し」の作業でもあった執筆の中で、さらに深まっていく。震災後、朗読劇に取り組んできた宮沢賢治『銀河鉄道の夜』、現代語訳を手掛けた『平家物語』を経由し、国家論ともいうべき「思想」へと到達する一連の描写は圧巻だ。
 作家としてのタブーに踏み込み、得たものは大きかったという。「むしろ自分は、別の意味で危険なところにいた」。辞書と見まがう分厚さの「ギガノベル」を書き続けてきたが「もうそろそろ、小説を書けなくなるというところまで来ていた。何を書いても今までのまねだし、もっと長いものを書くしか方法がなくなりかけていた」。内心をそう打ち明ける。「でも『ゼロエフ』を書いて、まだ書くことがとんでもなく出てきそうな気がしたんです」
 最後に尋ねたい質問があった。被災地で集めた、記しきれないほどの言葉は今後どうなるのか−。古川さんはしばらく考え、「芽吹かせるとしか、言いようがないですね」と答えた。「人に明かせないような言葉をもらった以上、自分の体を養分豊かな大地に変えなくちゃいけない。どんな形になるか分からないが、その種を芽吹かせるために」
     ◇
 古川さんのオンライントークイベントは後日、「大盛堂書店」公式サイトから視聴可能(有料)。 (樋口薫)

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