「リスクがある」と批判しなくなったら、民主主義の自殺だーシャルリエブド元編集長フィリップ・バル氏<一問一答>

2021年4月11日 06時00分

3月下旬、パリ市内の自宅で、表現の自由の意義について語るシャルリエブド元編集長のフィリップ・バル氏=谷悠己撮影

◆「イスラム教に対する差別」、戸惑った

 ―シャルリエブドでの17年間で印象に残っている仕事は
 決まっている。イスラム原理主義者らにうんざりしたムハンマドが「ばかどもに愛されるのはつらいよ」と嘆く風刺画を掲載した2006年2月8日付の一面だ。イスラム教自体には敬意を払いながら、欧米各国の民主主義の形を変えようとしていたイスラム原理主義者らを批判した。外国メディアも含めおおむね好意的な解釈がなされたが、一部の層には良く受け止められず、編集責任者である私への告訴につながった。
 シャルリエブドの編集部は伝統的に左派的な思想を持つ人間で構成されてきたので、反差別主義、移民擁護の立場だ。だからこそ、告訴の際に「イスラム教に対する差別だ」だと攻撃されたのには戸惑った。

◆本社襲撃が起きるとまでは想像できていなかった

 ―訴訟のリスクが、テロのリスクにつながるという発想はあったか
 あの一面を発行する前、私は警備員や会計担当を含めた全スタッフを集め「この紙面が発行されたら大きなリスクを負うことになる。それでも結構か」と聞いたが、全員が賛成だった。そして、私たちは治安当局の警備を受けるようになった。ただ、当時、リスクは「一つの可能性」という認識で、編集部の半数が犠牲になるテロが起きるとまでは想像できていなかった。
 シャルリエブドは表現の自由を象徴する世界的な存在となったが故に、(2015年1月の)本社襲撃テロの標的になった。あの悲劇の後も編集部に残って仕事を続ける同僚には大きな敬意を抱く。今も脅迫され続け、防空壕ぼうくうごうのような場所で危険を感じながら作業するのは、とても難しいことだ。だからこそ、われわれはシャルリエブドを決して見放してはならない。廃刊するならば、それこそがイスラム原理主義に対する敗北を認めることになる。

◆教師殺害テロは、あってはならない悲劇

 ―本社襲撃テロから5年後の昨年10月に起きた中学校教師殺害テロは、授業で扱われたシャルリエブドによるムハンマドの風刺画が引き金となった
 あってはならない悲劇で、とてつもない衝撃だった。と同時に、私たちが長年にわたり指摘していた事実も証明した。教育界の多くの場で、フランス特有の政教分離の原則(ライシテ)や第2次世界大戦中のユダヤ人の歴史を教える際、教師たちは大きな問題(抗議や脅迫など)を抱え、時には移民系生徒の反発への恐怖から教えることを放棄している。そして、そのことを行政当局が見て見ぬふりをしてきたという事実だ。教育界全体が連帯して立ち向かっていれば、事件は起きなかったはずだ。

◆革命以降のフランス人、宗教に対する批判精神が根付く

 ―シャルリエブドはなぜムハンマドの風刺画を描き続けるのか
 編集部にイスラム教と衝突しようという意図はまったくない。キリスト教もたびたび風刺画の題材となってきたし、宗教以外のテーマを扱うことも多いが、社会的関心が高まっている出来事が起きた時、そのことが宗教に関係しているならばためらわず風刺画を描くべきだ、というだけだ。
 宗教を扱った風刺画を描くことは、ライシテの理念に関係している。他国の人が理解するのは少し難しいかもしれないが、フランスは18世紀末の革命期、王室の権力と結び付く宗教(カトリック)を分離させようとした。新しい共和国は法律も風俗も言語までも、宗教に対して批判的な精神で再構築された。国の成り立ちに宗教的権力の排除が大きく関わっているため、革命以降のフランス人には、宗教に対する批判精神が根付いていると言える。
 シャルリエブドはそうした考え方を継承している。特定の宗教や信徒に反対するのではないが、宗教的な言説や神や宗教の名の下に行われる活動が仏国内法よりも優先されるという考え方を取ることはできない。それはイスラムだけでなくどの宗教に対しても同じだ。この考え方はフランス人の大半が持っている思う。

◆「リスクがある」と批判しなくなったら、それは民主主義の自殺だ

 ―訴訟やテロのリスクもある中で、ムハンマドの風刺画をやめるという選択肢もあるのでは
 風刺画を描いたり、記事を書いたり、ジャーナリスト活動をするのは、社会の要請があるからだ。もし、ある宗教の悪習を「リスクがあるから」といって批判しなくなったら、それは民主主義の自殺だと思う。

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