<くるみのおうち>(3)父子2人で だから、社会を変えたい 川崎に引っ越し、新たな暮らし

2021年4月11日 15時20分

小学校併設の学童保育で遊ぶ直樹さん=2009年撮影、川崎市幸区で(太田修嗣さん提供)

 息子がドイツの日本人幼稚園に通い始めてから、生活環境や教育環境は格段に良くなりました。日本語に触れる機会が増え、幼稚園でも、その後入学した小学校でも、息子にサポートの先生がついてくれました。
 しかし一方で、家庭の状況は悪化していました。あくまで私の立場から感じたことですが、妻との間で育児に関する考え方の違いが次第に大きくなっていき、家庭を維持することが難しくなっていたのです。
 ある日、オフィスにいる私に、学校の先生から電話がありました。「息子さんがすごい勢いで車道に出ようとして…」。学校行事で外出した時の出来事でした。
 私は「そこまで直樹を追い詰めてしまっていたのか」とがくぜんとしました。そして、この先どうするかの決断に迫られました。
 結局、四年半の海外赴任生活を終えると同時に離婚しました。本当に苦しく、これで良かったのかどうかは今でもわかりませんが、当時はほかに、どうすることもできませんでした。
 二〇〇八年に帰国し、勤務先に近い川崎市に引っ越しました。息子は小学二年生になり、地域の小学校の特別支援学級へ。当時は日々の生活に精いっぱいで、ほかに何も考える余裕がありませんでしたが、次第にこれまでを振り返って、「なぜ」と考えを巡らすようになっていきました。
 なぜ、自閉症という診断を当初受け入れられなかったのか。なぜ、円満だったはずの家族が壊れなければならなかったのか。なぜ、生まれた時には祝福されていた子どもが「あれができない、これができない」と言われ、みんなと同じでないといけないと思われてしまうのか。
 これらは私たち家族に起きた出来事ですが、私たちだけの問題ではありません。今も社会のあちこちで実際に起きています。私は、自分と同じようなつらく、悲しい思いを他の人にしてほしくない。だから社会を変えたい、というよりも変えていかなければならない。その思いが、私を突き動かしています。
 こうして父子の二人暮らしは始まりました。朝、息子を学校へ送ると、自転車で会社へ一直線。仕事が終わると学童保育に迎えに行き、夕食に宿題、入浴のあと就寝。慌ただしい生活でしたが、息子の笑顔が次第に戻ってきました。宝物のような日々を、ただただ大切に過ごしていました。(太田修嗣・NPO法人「くるみ−来未」理事長)
 ◇次回は十八日に掲載予定
 ◇ご意見・ご感想は、川崎支局(電子メールkawasaki@tokyo-np.co.jp)へ。

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