格差拡大を食い止めるための処方箋は…上智大教授・香取照幸さんに聞く

2021年4月13日 06時00分

<あの人に迫る>介護保険制度や「社会保障と税・一体改革」に関わった元厚労官僚

世界と日本の格差拡大とその処方箋について語る上智大の香取照幸教授(松崎浩一撮影)

 格差の拡大は「日本社会が抱える最も深刻な問題」。厚生労働省で年金局長などを歴任した香取照幸上智大教授(64)はこう警鐘を鳴らす。民主主義を脅かす格差拡大を食い止めるにはどうすればいいのか。世界中で広がる格差拡大の弊害と、それを是正するための処方箋について聞いた。 (編集委員・上坂修子)

 かとり・てるゆき 1956年、東京都出身。東京大法学部卒業後、厚生省(現厚生労働省)入省。厚労省政策統括官、内閣官房内閣審議官、年金局長、雇用均等・児童家庭局長などを歴任。2000年度にスタートした介護保険制度の創設や「社会保障と税・一体改革」に携わる。16年に退官し、翌年駐アゼルバイジャン共和国日本国大使に就任。20年に帰国し、上智大総合人間科学部教授。同年8月、社会保障に関わる研究、研修を通じて、政策担当者と研究者、現場とのネットワークを築く一般社団法人「未来研究所臥龍がりゅう」を立ち上げ、代表理事に就任。主な著書に「教養としての社会保障」「民主主義のための社会保障」(ともに東洋経済新報社)。

 ―世界中で格差が広がっている。日本も例外ではない。
 もともと日本は格差の少ない平等な社会だった。高度成長期にも格差はあまり広がらなかったのに、今の日本はもはやそうではなくなった。子どもの貧困、ワーキングプアなど格差が大きな社会問題になっている。
 このことは各種統計にも歴然と出ている。日本のジニ係数(所得分配の公平性を示す指標。数値が小さいほど公平)は経済協力開発機構(OECD)加盟国平均を上回る。先進7カ国(G7)中最低だった相対的貧困率も、所得再分配後では米国に次いで2番目に大きい国になってしまった。
 ―格差拡大は社会にどのような影響を及ぼすか。
 第1に、格差は社会の正当性に関わる。自分の社会がフェアな社会、支えるに値する社会だと構成員が思えるかどうか。皆がフェアではないと思い始めたら誰もルールを守らなくなり社会は乱れる。今回のパンデミック(感染症の世界的大流行)のようなことが起こっても誰も政治や社会システムを信頼していないから勝手に自分だけを守り始める。社会から連帯や協調が失われていく。
 次に、格差の拡大は経済成長の足かせになる。一握りの金持ちと大多数の貧乏人という社会で経済は成長しない。経済はより多くの人々のニーズを実現することで成長していく。経済も社会も支えているのは真ん中の人たち。分厚い中間層が形成されて初めて社会は安定するし、経済も発展する。中間層が崩壊したら経済も社会も成り立たなくなる。
 最後に、これが1番大事なことだが、社会や経済の発展は、1人1人の人間が頑張ること、自分の希望や夢を実現するために人生を切り開いていく努力をすることで実現される。1人1人の活力の総和が社会の活力ということだ。
 公正でない社会、努力が正当に報われない社会では人は希望を失い努力しなくなる。だから格差の大きな不公正な社会は活力を失い発展が止まる。そうなってはいけないから、格差と闘わなければならない。
 ―世界各国で格差拡大のネガティブスパイラルが始まっている。
 米国や欧州、そして日本でもそうだが、既存の政治の枠組み、政党の枠組みが崩れてきている。既存政党が民意を吸収できない。格差が拡大し、社会の外縁、周辺に追いやられる人がどんどん増えている。社会から疎外されていると感じる人たちをターゲットにポピュリズム政党が力を伸ばす。議会制民主主義が機能しなくなってくる。
 歴史が教えている。かつてのドイツ、ワイマール共和国でそれが起こった。ナチスが台頭し、大衆を扇動して支持を集め、政権を握って議会政治を破壊してファシズムが生まれた。
 ―日本は今、どの段階にあるのか。
 よくない方向に進んでいるように思う。民意と政治がずれ始めている。民意をどう政治の中に組み込んでいくのか。民主主義は一歩間違えば衆愚に陥る。世界中の国にポピュリズム政党が台頭し、無視できない力を持ちつつある。民主主義とリーダーシップの関係は難しい課題だが、民主主義への信頼が揺らいでいる時代だからこそ、指導者には民主主義を守るという意味での強さ、胆力が必要だと思う。
 最近、政治や官僚機構の劣化を感じる。政治主導というが今の姿は「政治家主導」。権力を持った政治家は何をしてもいい、民主的に選ばれたのだから権力をどう使おうと予算をどう使おうと構わない、物事をどう決めてもいい、役人の人事を好きにやっていい、というのは民主主義のリーダーのすることではない。民主主義国家とは法治国家。どこまでいっても権力は主権者からの預かり物だ。
 ―格差を是正する処方箋は。
 生産・分配・消費という経済活動の中でいえば、社会保障は分配に関わっている。社会で生み出された付加価値を公正に分配することを通じて分厚い中間層をつくり、社会の安定と経済成長を支え、民主主義を支える。そのための重要なツールだ。社会保障は弱者救済のためだけにあるのではない。社会を構成する全ての人のためにある。
 ―具体的には社会保障制度を充実させるということか。
 社会保障は大きければいいというものではない。公正な社会を実現することが大事。逆説的だが、公正で公平な社会が実現できていれば社会保障の出番は少なくなる。
 格差を是正するために社会保障がすべきことは、社会から落ちこぼれる人をつくらないということ。社会保障のネットワークの中に全ての人が入っているということが大事だ。人は人生でさまざまなリスクに出合うが、そのリスクをカバーして、みんなが普通に働いて普通に生活していける社会をつくるのが社会保障の役割だ。
 その意味では、非正規労働者の処遇をきちんとして、社会保障制度もきちんと適用する。このことをやるだけでもかなりのことが解決できるはずだ。
 もちろん格差是正は社会保障だけでは実現できない。税制もあるし、労働政策や企業行動の規制も必要だ。資産格差の問題やさまざまな社会的差別の問題もある。いろいろなものを通じて格差と闘っていくことが必要だ。
 ―日本では長期にわたり、社会保障の抑制路線が続いている。
 国家財政が厳しい。公的部門の仕事はどんどん増えている。今や厚労省はブラック職場として有名だ。だが、人も予算も十分に確保できない。日本は今、1200兆円の財政赤字を背負っていて、しかも毎年それが拡大している。われわれは自分たちが享受している社会保障給付や行政サービスの費用さえ借金、つまり将来世代へのつけ回しで賄っている。政府は小さければいいというものではない。必要なコストは負担しなければならない。
 国にお金がない、ということは、何か問題が起きたときの対応能力が十分でないということだ。十分な対策ができず、後手に回り、結果的に問題を大きくしてしまう。
 社会保障は国の政策経費の半分を占める最大の歳出項目だから厳しい抑制がかかるのは仕方がないのかもしれないが、少子高齢化が進み、格差が拡大し、非正規労働者が増え、離婚が増え、地域や家族の力が弱くなっていく中で社会保障の守備範囲は広くなっていくばかり。人も金も必要なのに財源がないから十分なことができない。十分なことができないと問題が深刻化してさらにコストがかかるようになる。同じようなことは教育や他の分野でも起きている。
 国民に負担を求めることは大変。政治家には胆力も要るし何よりも国民からの信頼がなければダメだ。負担から逃げて、将来世代へのつけ回しでしのいできたのが今までの姿。政治家も国民も、そろそろ根本的に考え直さないといけないのではないかと思っている。
 <あなたに伝えたい> 国民に負担を求めることは大変。政治家には胆力も要るし何よりも国民からの信頼がなければダメだ。

◆インタビューを終えて

 香取さんは介護保険創設の中心メンバーで「介護保険の鉄人」と呼ばれた。社会保障と税・一体改革の青写真も描いた。元首相秘書官の飯島勲氏は「『国有財産』ともいうべき優れた官僚」と評した。
 2017年春、駐アゼルバイジャン大使就任前に開かれた壮行会で、香取さんが後輩に向けて語った言葉が印象的だった。
 「官僚は公務員である前に1人の市民である」
 「よき市民、よき家族、よき恋人、よき夫、よき妻、よき父親、よき母親であること。自らの生活が幸福でない者に、他者を幸福にする力はない」
 私もこの言葉を幾度となくかみしめている。

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