【全文】「津久井やまゆり園」での採火式中止を求める要請書

2021年4月13日 19時58分
 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で東京パラリンピックの聖火を採取することについて、遺族や家族が中止を求めて相模原市と神奈川県に提出した文書は以下の通り。
    ◇    ◇
要請書
2021年4月13日
相模原市長
本村賢太郎 殿
神奈川県知事
黒岩祐治 殿
「美帆さん」遺族代理人 弁護士 滝本太郎
利用者尾野一矢 家族 尾野剛志

拝啓、ますますご清祥のことと存じます。
 2016年7月26日発生の、津久井やまゆり園事件に関しては、事件の後、さまざまな調整・ご努力を頂きありがとうございます。
 相模原市と神奈川県におかれては、日本国のものと比較して、より最重度の知的・重複障害者も生きる権利があると読めるメッセージを出していただいていることはありがたく存じます。
 ただ、相模原市と神奈川県にあっても、この事件が福祉国家を目指していた筈の日本の政策に正反対の、為政者による「偽りの安楽死」政策を求めてなされたテロ事件であるということを直視されておらず、その点が残念です。
 また、これらメッセージが、神奈川県が相応に関与して成立した「社会福祉法人かながわ共同会」における職員の育成の過誤・監督不十分による要因が確実にあったと思えるこの事件の後になってのこととなってしまったこと、まして、その他の問題を含めて、事件の背景となった利用者に対する虐待めいた事実が、同法人にあって未だ存在したと聞くにつけ、残念です。
 さて、本書では、今回のパラリンピックの「採火」の場所として、相模原市では神奈川県と協議して再建予定の「津久井やまゆり園」にてなすという計画であるとのことなので、この機会に下記の通り、要請します。
 本書は、遺族また被害者・家族らとして、それぞれにまとまった集まりをもつものではないため、一故人の遺族と一被害者家族の要請に止まりますが、おそらくは多くの遺族また被害者・家族らも同じ気持ちではではないか、と考え ます。
 要請者である「美帆さん」遺族は、殺された19人にはそれぞれに人生があったことを現実感をもって社会に示し、法廷で陳述もすることにより、あの刑事裁判を形ばかりの、あの被告人の思うままにさせなかった者であり、要請者である尾野剛志は、あの法廷で、被告人質問まですることによって被告人に対峙し、社会にも伝えてきた者です。
要請の趣旨
 「津久井やまゆり園」でのパランピックの採火は、止められたい。
 日本国に対し「最重度の知的・重複障害者も生きる権利がある、このようなテロ行為は決して繰り返させない。」と、7月26日の機会などに現地で宣言するなどしていただけるよう、強く働きかけられたい。
 の要請にも関わらず、ここでの採火を実施しようとする場合は、上記の日本国の宣言が実現することを大前提とし、遺族や被害者・家族等々とも相談しつつ、採火式の開始前から採火した後まで終始、決してこれは「フェスティバル」ではない、「レクイエム」としての「採火」だと公然と、明白に分かり、その記憶として残るように、式次第、音楽、歌、言葉、鳴り物、衣服、車両、報道、記録等々、万事全般にわたり遺漏なきものとされたい。
要請の理由
 要請者らが、この事実を知ったのは、3月23日の報道につき問い合わせがあったことによります。最初、なんのことなのか訳が分からず当惑するばかりでした。
 「美帆さん」遺族は結局、代理人を通じて、3月24日 「想像もしていなかったので驚きました。言うことはありません」というコメントを出したに止まりますが、これは正式に連絡などない段階で滅多なことを、まして公には言えず、もとよりオリンピック・パラリンピックとも本当に開催されるのか分からない状況でもあり、定めたコメントです。
 すなわち、同遺族は、これを知った当初から、下記の通りの感想を持ったものです。代理人弁護士への同日朝のメール内の文章から抜き出します。
① 家族が犠牲になった場所で採火が行われるのは違和感があります。遺族の気持ちがないがしろにされるようで悲しい。残念に思う。
② 丸5年をむかえる今も悲しみは変わらない。歳月は関係ない。どんなに歳月が過ぎても悲しいままです。悲しいまま日々過ごしています。
③ パラリンピックの採火を決めた方々には、感覚のズレを感じます。事件で自分の家族が犠牲になったらどんな気持ちになるか考えたことがありますか?どんな気持ちで日々いるのか考えたことがありますか? 自分の家族に 置き換えて考えて頂きたいです。
 その後、3月末の正式発表の後の、4月に入ってから、神奈川県からは、下記の一文を含む「3月」付の文書が、全遺族あてとして届きました。
  3 東京2020 パラリンピック聖火リレーにおける採火式
 ・県では、県内の全市町村で生み出された火を一つに集める集火を行い、一つになった神奈川県の火を「ともに生きる社会かながわの火」とし、パラリンピック聖火リレートーチに点火して東京へと出立させる「集火・出立式」を実施します。
 ・市町村の採火式の具体的な内容については、各市町村において検討しているところですが、相模原市については、共にささえあい生きる社会の実現を願いながら相模原市の火を作ることとし、その採火式を「津久井やまゆり園」で実施することとしています。
 ・上記については、3月31日に記者発表いたしますので、その旨ご承知おきください。
 さらに、4月7日、「津久井やまゆり園園長」名の4月6日付文書が届き、そこには、
「事後報告となり申し訳ありません。別紙を添えておきましたので、お目通りをお願い致します。今後、相模原市からのお知らせ等が整いましたら、ご連絡させていただきますので、何卒よろしくお願い致します。」
とあり、そこには相模原市長の
「本市では、8月15日に津久井やまゆり園において、採火を実施することといたしました。」
なる記載を含む市長コメントの写しが届きました。
 これは、いったいいかなる経過なのでしょうか、まったく理解に苦しみます。ないがしろにされている、と感じます。
 重要なことは、この事件が、43人が65分間の間に殺意をもって元職員に刺された事件であり、うち19人が亡くなったこと、それは一方的な「安楽死」政策をとるよう、男が国に求めたテロ行為の一環であったことです。
 一方、パラリンピックはまさに「祭典」です。「フェスティバル」の一環としての採火になってしまいます。これを完全に払しょくして「鎮魂・レクイエムとしての採火」にするのは、ほとんど不可能なことだと思われます。この点から遺族や被害者・家族はもちろん、多くの国民が違和感をもつことは、ごく自然のことです。
 上記のことから、ここで「採火」することは許し得ず、要請の趣旨に記載1の通り求めます。
 もともと、パラリンピックは、その経緯・由来からして、知的障害者が参加できる余地は少なく、まして津久井やまゆり園の利用者のような最重度の知的・重複障害者が参加する余地はありません。
 それを、相模原市及び神奈川県は、分かっておられましょうか。
 どう工夫してみても、「フェスティバル」の一環としての採火になってしまう可能性が高いのに、ここで採火されるのでしょうか。43人の利用者が、一方的な「安楽死」政策をとるよう国に求めたテロ行為の一環として刺され、うち19人が亡くなった事件の場所で、探火するのでしょうか。
あの男や、一部にはいるとみられる同調者は、いったいどう感じ、どう記憶するでしょうか。
 日本国は、未だ「最重度の知的・重複障害者も生きる権利がある、このようなテロ行為は決して繰り返させない。」という宣言をしてくれていません。 津久井やまゆり園の前でのみならず、首相や厚生労働大臣が示したどのメッセージにもそれがありません。あの男が要請した一方的な「安楽死政策」を、明白かつ明確に否定する言葉を、未だ示していないのです。
 事件は、障害者わけても自らの意思を明確に示すことなどできない最重度の知的・重複障害者の命という、まさに基本的人権の中核に関することであったことから、国内はもとより、世界に対して衝撃的な、歴史に残る事件であって、日本国と日本社会には、歴史的な課題として突き付けられたものでした。
 よって、要請の趣旨の2記載のとおり、求めます。
 それでも、これを実施しようとされましょうか。もしするのであれば、せめて要請の趣旨3に記載の通り、するよう求めます。
すなわち、相模原市、神奈川県においてはもちろん、要請の趣旨2記載のとおり、日本国からも「最重度の知的・重複障害者も生きる権利がある、このようなテロ行為は決して繰り返させない。」との明白かつ明確なメッセージを、機会をとらえて発しさせて下さい。これが大前提です。
 そして、その上で、遺族や被害者・家族等々とも相談しつつ、採火式の開始前から採火した後まで終始、決してこれは「フェスティバル」ではない、「レクイエム」としての「採火」だと公然と、明白に分かり、そのとおりの記憶として残るように、式次第、音楽、歌、言葉、鳴り物、衣服、車両、報道、記録等々、万事全般にわたり遺漏なきものとされたい。
 以上の通り、要請します。
敬具

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