川崎大空襲から76年 「要は精神だ」服は簡素に、賃金は債券に・・・ 生活に潜んだプロパガンダ 市平和館で記録展

2021年4月14日 06時00分
 川崎市の中心部が焼け野原となった「川崎大空襲」から15日で76年になる。毎年この時期に空襲の「記録展」を開いている市平和館(中原区木月住吉町)は今回、戦時下の市民生活にもスポットを当てた。「草の根」からもこの戦争に動員されていった仕組みをパネルなどで紹介している。(山本哲正)

六郷橋付近から写した川崎区の当時(左)と現在の写真。手前が焼け野原になったことが分かる=中原区の市平和館で

◆仕組まれた戦意高揚

 1945年4月15日午後10時3分、空襲警報の発令とほぼ同時に爆撃が始まった。記録展では、被害の激しい市役所周辺の写真などのほか、今回は新たに、当時の内閣情報局が出した写真グラフ誌(東京・世田谷区立平和資料館所蔵)を展示。どのように国民の戦意高揚が仕組まれるかを考える内容となっている。
 「米英レコードをたゝき出さう」とあおるグラフ誌とともに、当時発売された「三国旗かざして 日独伊同盟の歌」(山田耕筰作曲)のレコード盤を展示。「日の丸だハーケンクロイツだトリコロールだ/さあ行こう肩を組んで誓いの友よ」という歌詞を紹介した。
 「着物一枚から生まれる戦力」という特集ページは、服装を「簡素にしよう。要は精神だ」と促している。国民服の現物を並べて展示した。働いて得たお金も、戦費をまかなう報国債券や郵便貯金などが奨励されて自由に使えなかったことも紹介。戦後にはほぼ価値がなくなって市民から寄せられた、館所蔵の「郵便貯金切手」などを山積み展示した。

郵便貯金切手が山積み展示された。市民から寄せられたこの量が、当時、戦費に回る貯金が盛んに奨励されたことを示すという=中原区の市平和館で

◆非国民とみなされる恐怖、生殺与奪握る隣組

 同館専門調査員の暉峻僚三てるおかりょうぞうさん(54)は「衣料、食料の配給には町会、隣組を通じて配られる切符が必要。報国債券を買うことも、そこを通じて奨励される」と説明する。戦争遂行に疑念を持つ「非国民」とみなされると配給を得られない恐れがあり、債券購入は半ば強制でもあったという。「ある意味、隣組が生殺与奪を握ることとなった」と語った。

「日の丸だハーケンクロイツだ」の歌詞とともに展示した「三国旗かざして 日独伊同盟の歌」のレコードについて解説する暉峻さん=中原区の市平和館で

 子ども向けの双六すごろくの現物やレプリカも展示。進軍をなぞるだけではなく、桃太郎やかぐや姫なども描かれている。シンボルや著名人を使ったり、大衆的な雰囲気を出したりするのは、市民を誘導するといったプロパガンダ(政治宣伝)の手法だという。
 長男(4つ)とふらりと立ち寄ったという中原区の30代会社員女性は展示を見て回り、「まったく知らなかったことが紹介されている。昔のこととはいえ戦争を忘れてはいけないと思った」と話していた。
 5月5日まで。休館は4月19、20、26日。14日からは、戦時中に供出され、75年余ぶりに返還された川崎区の遍照寺の半鐘も展示する。入場無料。

戦車や兵隊の絵が並ぶ双六のレプリカ。「上り」に花咲かじいさんが描かれている=中原区の市平和館で

 川崎大空襲 市平和館によると、1945年4月15日夜、B29爆撃機が194機来襲し、川崎市内に焼夷弾1万2748発、高性能爆弾162発、破砕性爆弾98発が投下された。被害は家屋の全半壊3万3361戸、工場の全半壊は287件。度重なる空襲による市内の死者約1000人、負傷者約1万5000人の大半が、この大空襲によるとされる。

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