2000年前から続く田んぼ、次につなげたい…米作りから酒造りまで一貫生産する蔵元<都の企業とSDGs>

2021年4月17日 06時00分
 住宅や学校が立ち並ぶ一角にある酒蔵。裏手には広大な田んぼが広がる。「この辺りは2000年前から農耕をしていた痕跡がある。昔の人が土を耕してくれたからこそ、今でも良い酒米が作れる」

酒造りについて話す泉橋酒造の橋場友一社長=神奈川県海老名市

 江戸時代末期の1857年に創業した「泉橋酒造」=神奈川県海老名市=の6代目蔵元、橋場友一さん(52)はこう語る。泉橋酒造は、日本酒の原料となる米作りから酒造りまでを手掛ける。一貫生産により品質が安定し、この地ならではの日本酒ができる。

◆「赤トンボが飛び交う」光景を目指して

 橋場さんは大手証券会社で働いた後、1995年に実家の泉橋酒造に入社。海老名市の農家仲間4人と「さがみ酒米研究会」をつくって勉強を始め、96年から酒米を作り始めた。当時は泉橋酒造の日本酒に地元産の酒米は1割程度しか使っていなかった。現在では、自社と研究会で栽培した酒米を9割使っている。
 泉橋酒造のロゴマークには、赤トンボがデザインされている。「たくさんの赤トンボが飛び交う田んぼにしたい」との思いからだ。生き物をなるべく傷つけないよう、減農薬にこだわる橋場さんの米作りの考えは、生態系の保全や土壌の回復を掲げるSDGs(持続可能な開発目標)の目標15「陸の豊かさを守ろう」と合致する。
 全国の田んぼの面積は、この50年で約3割減った。農家の高齢化や担い手不足で工場用地や宅地などへの転用が進み、耕作放棄地も増えている。橋場さんは「田んぼの景色は、守る人がいるから見ることができる」と、積極的に休耕田を借りたり購入したりしてきた。約20年前に0・6ヘクタールだった酒米用の田んぼは、海老名市と近隣の相模原市、同県座間市の分を合わせ計約46ヘクタールになった。
 コロナ禍で、2020年の日本酒の国内出荷量は前年より約1割減った。橋場さんは「次の世代の田んぼを預かっているという思いで仕事をしている。コロナに負けるわけにはいかない」と話す。(畑間香織)

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