クララとお日さま カズオ・イシグロ著

2021年4月18日 07時00分

◆情念の世界に差す光
[評]阿部公彦(東京大教授)

 科学技術の発達がもたらす奇妙な未来。本作が描くのはバラ色からはほど遠い世界だが、作品には穏やかで繊細な時間が流れる。音楽を聴くようにその呼吸に耳を傾けながら読みたい。
 主人公は太陽光で動くAIロボット、クララ。旧型だが、能力は高い。若いジョジーが販売店で外を見つめるこのクララに目をとめ、母親にせがんで購入が決まる。二人は意気投合し、クララはAF(人工親友)として病弱なジョジーのサポート役となる。
 クララは外界を認知し、法則を見いだしながら成長する。ときには素っ頓狂(とんきょう)でずれた反応もするが、慣習にとらわれない目は巧(たく)まずして詩的着想の宝庫。イシグロ的リアリズムの原点にある透明なイノセンスと、得も言われぬ寂寥(せきりょう)感とが結びつく。
 クララの「心」がゆったりと牧歌的なのに対し、人間たちの物語は苦い葛藤に満ちている。ジョジーの母親クリシーと元夫のポール、ジョジーと幼なじみのリック、リックと母親。情念のからみあいは重く、出口が見えない。
 小説の終盤、こうした波乱の種が明瞭な形をとる。ジョジーの命が長くないことを憂えたクリシーは、画家に肖像画を描いてもらうが、その裏には驚くべき計画があった。リックを溺愛する母親ヘレンは、自分が捨てた元恋人にたのんで息子の進学を画策する。そんな中、ジョジーの体調は悪化の一途をたどる。
 しかし、小説にはまさかの展開が待っている。「大人のリアリズム」にまみれた世界に、クララの「心」が光を導きこみ、信じられないことが起きる。これはもはや童話や牧歌にとどまらない、まばゆい神話世界の到来なのか。
 有史以来、人間は大地、植物、動物、機械、そして人間そのものに支えられてきた。権力と従属は文明の宿痾(しゅくあ)。本作でも人間たちの横暴さはグロテスクなほどだ。しかし、私たちはそんな仕組みを疑う目も持つ。根幹にあるのは、支配よりも恵みではないのか。宗教が媒介してきたそんな問いを、クララの生命の源である太陽もまた投げかけている。
(土屋政雄訳、早川書房・2750円)
1954年生まれ。英国の作家。2017年にノーベル文学賞受賞。『日の名残り』など。

◆もう1冊

カズオ・イシグロ著『わたしを離さないで』(早川書房)。土屋政雄訳。

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