渋沢栄一と日本の資本主義

2021年4月20日 07時51分
 明治から昭和にかけて活躍した実業家・渋沢栄一への注目が高まっている。次の一万円札の顔になることが決まり、大河ドラマの主人公にもなった。なぜ今、渋沢なのか。「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢の営為や思想をひもとき、現代への示唆を探ってみた。

<渋沢栄一>(1840~1931年) 埼玉県の豪農の家の出身。幕臣時代に使節団の一員として欧州各地を訪問。一時明治政府に出仕したが、後に退官。渡欧経験も基に近代的な金融システムや企業の構築に力を尽くし、「日本資本主義の父」と呼ばれる。社会・教育・文化事業にも取り組んだ。関わった企業は500、社会公益事業は600。2024年度前半に、新しい一万円札の顔になることが決まっている。

◆SDGs 理念通じる コモンズ投信会長・渋沢健さん

 新紙幣の肖像画への採用や大河ドラマなどを通じ、渋沢栄一やその思想に注目が集まっています。これはただの「ブーム」ではない。社会の変化が百年以上前の栄一の思想を呼び戻したのだと感じています。
 栄一は「日本資本主義の父」といわれますが、本人は「資本主義」という言葉を使っておらず、「合本(がっぽん)主義」と言っていました。「合本」とは何かと何かを足して新しい価値を創り出すこと。この助詞「と」こそ、彼が大切にした考え方です。「と」には、一見相いれない要素を結び付け新たな可能性へ飛躍させる力があります。
 栄一の談話をまとめた著書『論語と算盤(そろばん)』にも「と」が使われています。栄一は明治になり物質的な面で急激に豊かになった中、精神的な豊かさを求め、皆が満足する社会、「機会平等」の世を追い求めました。論語=道徳と算盤=経済の両立を目指したのです。
 その思想が現実に表れているのが、栄一が立ち上げた銀行の仕組みです。世間で使われずに埋もれている少しずつのお金を集めることで、大きな力を生み出すことができると考えた。散らばっていたわずかな水滴が集まり立派な大河となるように、資源を結び付けて流れをつくることでより良い未来をつくろうとしたのだと思います。
 現代で考えると「合本主義」は「ステークホルダーキャピタリズム」、つまり「利害関係者のための資本主義」のことでしょう。これは今、企業経営で最も重要になっている考え方です。企業は株主のためだけでなく、従業員や取引先、顧客、社会のための利益を最大化しなければならない。成長と同時に、環境問題や社会問題なども考慮することが求められているのです。これらを軽視することは大きな経営リスクになります。
 特に、近年重視されているのが「SDGs(持続可能な開発目標)」です。「世界で誰一人取り残さない」という目標はまさに栄一の考えに通じます。達成には長期的な視点で、今までにない取り組みの模索が必要です。一方それは新たな市場発見や価値創造へのチャンスにもなるのです。
 このように、長年の経済成長重視の考え方が今変化の途上にある。そのことを踏まえると、栄一の思想がいかに先んじたものであったかが分かります。(聞き手・小山豪)

<しぶさわ・けん> 1961年、神奈川県生まれ。渋沢栄一のやしゃご。米ヘッジファンドなどを経てコモンズ投信を創業。著書に『渋沢栄一 100の訓言』『SDGs投資』など。

◆「道徳経済合一」世界に 作家・フランス文学者 鹿島茂さん

 「公正中立な市場競り人がいて初めて資本主義が機能する。まったくのレッセフェール(自由放任主義)では『神の手』は動かない」とは、経済学者の岩井克人さんの理論です。市場競り人とは審判のようなもの。この審判とプレーヤーを兼ねることのできた渋沢栄一がいたからこそ、明治時代に日本の資本主義は飛躍できました。
 渋沢が、唯一無二のプレーイングアンパイアとして活躍できたのには、一八六七年、徳川昭武に随行して第二帝政下のパリ万博を訪れた経験が大きく寄与しています。人と物と金の循環をつくり出し、社会を改良しようとするサン・シモン伯爵の思想を獄中で学んでいたナポレオン三世は、同年のパリ万博までのわずか十五年間で、英国でほぼ百年かかった規模の経済発展を成し遂げます。渋沢は、徳川一行の世話係だった銀行家フリュリ・エラールから、株式会社、銀行など、循環を生む仕組みを学びます。問題の本質をつかんで解決策を見いだす能力が極めて高い渋沢なので、エラールも教えるのが楽しくてしょうがなかったのではないでしょうか。
 エンゲルスの「空想から科学へ」の影響でサン・シモン主義は「空想的社会主義」だと誤解されていますが、本質は「外部注入型高度資本主義」により近い思想です。渋沢は、このイデオロギーが一定の時間を経て、極端な言い方をすると「マニュアル化」された時期に摂取することができました。「調停役(審判)は、役人ではなく、厳正中立な産業人でなくては」という思想も、武士と商人が対等の世界を築くという渋沢の理想と響き合いました。渋沢は、これをサン・シモン主義だとは意識せず「細流主義」と呼びました。
 「論語」が血肉化されている世代の渋沢は後に、外遊で身に付けた思想と「論語」との合一点を見いだしたのだと思います。「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」。渋沢が著書「論語と算盤」で示した「道徳経済合一説」は、非常に合理的で、修正資本主義としてはベストに近いと思います。
 覇権主義が世界を覆う時代に、渋沢が一万円の顔になることは極めて意義深い。政府は「クールジャパン」よりむしろ「道徳的であることが最も経済的である」という渋沢の思想を世界へ打ち出していくべきだと思います。 (聞き手・中山敬三)

<かしま・しげる> 1949年、神奈川県生まれ。元明治大教授。著書に『職業別 パリ風俗』『パサージュ論 熟読玩味』『渋沢栄一』『怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史』など。

◆近代日本を創った人 国学院大教授・杉山里枝さん

 「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一ですが、それだけの人ではありません。福祉や教育など社会事業にも取り組み、米国からの青い目の人形受け入れに尽力するなど民間外交でも功績を残しました。だから、私は彼を「近代日本を創った人」と考えています。
 渋沢の根底にあったのは「日本を良くしたい」という思いです。幕末に欧州を訪れた彼は、近代国家と発展した産業を見ました。日本もこういう国にして世界で存在感を持てるようにしたい。そう考えた彼は、まずは近代的な会社をつくり、経済を強くしようとしました。
 実業家としての彼の経営理念は「道徳経済合一」です。倫理と利益を両立させるという意味で、難しいようですが、両者は一致すると彼は言っています。それを実践するために、開放的な経営を進めました。広く資本や人材を集めて会社をつくり、情報は開示する。透明性も含めた開放的経営です。
 彼は約五百の会社に関わりましたが、多くの場合、社長は人に任せています。多彩な人的ネットワークが駆使されました。そして、自分は出資や助言にとどめる。だからこそ、鉄道や電力など当時の日本に必要だと考えた会社を次々と立ち上げることができたのです。
 同時代の実業家に、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎がいます。岩崎は自分の会社やグループの発展を第一に考え、渋沢は公益を追求しました。どちらも重要だったと思います。財閥的なやり方と渋沢的なやり方の組み合わせによって、明治期の日本経済は急速に発展しました。
 古希を迎えて実業界をほぼ引退した渋沢は、社会事業に重点を移しました。関わった事業は六百に及びます。営利目的ではない事業においても、道徳経済合一がベースになりました。慈善事業も思い付きではいけない。合理的、組織的でなければ持続できないからです。
 コロナ禍の中で、倫理と利益の両立は、より重要になっていると思います。社会的な利益も考えながら経済活動を行う。そして、コロナを乗り越えるためには、まずは各国が国内の感染や経済の状況を改善させる必要があります。その先に、世界の立て直しがあります。日本を良くした上で、国際協調しようと考えた渋沢の発想が参考になるのではないでしょうか。(聞き手・越智俊至)

<すぎやま・りえ> 1977年、群馬県生まれ。東京大大学院経済学研究科修了。専門は日本経済史・経営史。愛知大准教授などを経て、2018年から現職。著書に『はじめての渋沢栄一』(共著)など。


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