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【東京エンタメ堂書店】

<ブルボン小林 月刊マンガホニャララ> (6)「初代」の遠慮なさ

柴田ヨクサル『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』 *『月刊ヒーローズ』(ヒーローズ)で連載中。コミックは3巻まで発売。

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 TOKYO MXで『仮面ライダー』の再放送が始まった(火曜午後六時半)。

 熟成された中年オタクの目でみる四十八年前の初代ライダーは、撮影の苦労ばかりに目がいく。まず、ライダーの運転が危なっかしい。ヨレヨレとまでは言わないが、スタントマンなしでの撮影で、精一杯という感じの走りや跳躍だ。

 車内の女を映すカメラの、ピントが合ってない(近すぎて合わせられないのか)。夜が本当に暗いのは演出でなく、東京がまだそんなに明るくなかったのだろう。

 しかし、やはり面白い。当時の子供は本当に怖かったろうし、夢中になったろう。高いところからジャンプして着地するとき、ライダーの回転するカットを挟むことで、本当には飛んでいないことをごまかすものだが、そう分かっていてもゾクゾクするのは、その前段の「高いところ」に立っている、その高さがすごい。今、未来の綾野剛(あやのごう)やオダギリジョーに、そこまで無理させない。すごさは体術の素早さやCGでみせるが、当時のは「扱い」の遠慮なさで、今の迫力に負けてない。

 と、ここまで少しも漫画評ではないが今回取り上げる『東島丹三郎(とうじまたんざぶろう)は仮面ライダーになりたい』を語るに際し、初代ライダーを並行して鑑賞できたのはとても意義深いことだった。

 作者の柴田ヨクサルは常に「格闘」を描いてきた。近作の『妖怪番長』などもそうだし、将棋を描いたヒット作『ハチワンダイバー』も盤上の戦いと思えないほど格闘的だった。

 でもなんだか『ドラゴンボール』や『バキ』のようないわゆる格闘漫画とは似て非なる個性を感じてもいた。

 戦う「前段」が異様だ。バトルそのものと同じ密度の、強い印象を与えて寄越(よこ)す。

 これまでもフィクションの戦いには「前段」があった。西部劇でガンマン二人が十歩ずつ歩いて振り向いたり、『仮面ライダー』などでは必殺技名を叫んでから技を繰り出したり。相手にダメージを与え倒すということの合目的には不要の前段が、戦いの緊張を高め、盛り上げる。どの漫画も、そこをおろそかにはしない。でも、柴田作品ではそっちを描くのが重要な目的であるかのようなのだ。

 本作の主人公たちは皆『仮面ライダー』シリーズにかぶれ、心酔したまま大人になった者たちだ。一人いるだけでドラマになるだろうに、三人も登場して三種類のライダーに憧れるし、心酔の強さも仕方もほぼ一緒。個性の差もわずかだ(描き分けはしっかりして飽きない)。

 彼らは「本物の」敵がこの世にまぎれていることに気付き、一様に涙を流す。悪者の非道に悲しんでの涙ではない。ライダーとして戦える喜びでだ。

 漫画は「コマ」の中に描かれるが、コマをカメラのフレームだとしたとき、端に見切れそうな位置にも人物がいて、そいつの表情がいつもすごくいい。世界の端に生きていても、活(い)き活きと躍動している証拠のようだ。喧嘩(けんか)はしばしば大きい声の奴(やつ)が勝つというが、フキダシの中の活字の巨大さも、読んでいて気持ちがよく、不思議でもある。テレビの初代ライダーの闇雲(やみくも)さや「遠慮なさ」がここには通底しているといえる。(ぶるぼん・こばやし=コラムニスト)

 *第3月曜掲載。

中高年には懐かしい「イーッ」の声も登場=『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』第3巻から

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