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【書く人】

父と愛人と母 真実は 『あちらにいる鬼』 作家・井上荒野(あれの)さん(58)

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 <作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった>

 単行本の帯にある、作家瀬戸内寂聴さんの衝撃的な言葉が、まず目に飛び込む。移ろう人の心や男女の感情を描く名手、井上荒野さんが、新刊を出した。モデルは自分自身の両親と、かつて父を愛した寂聴さん。三人の長年にわたる不思議な関係を、想像力を縦横に走らせて創作し、普遍的な作品に結実させた。

 母郁子さんが五年前に亡くなった後、編集者からこのテーマで書かないかと声をかけられた。「スキャンダル性が話題になる作品なんて絶対無理」と断った。だがその後、寂聴さんと話す機会があった。「ずっと父の話をしているんですよ。ああ本当に好きだったんだ、なかったことにしたくないんだな、と。そこにグッときてしまって…」。寂聴さんも執筆を喜んでくれた。

 有名作家だった父には、常に複数の女性の気配があった。母も気付いていたという。「でも、男女関係で夫婦げんかしたのを見たのはたった一度だけ。私は幸せな家でのんきに過ごしてきた」。だからこそ、母が何を考えていたのか、永遠の謎として残った。

 小説は作家の男を間にはさみ、妻と愛人が交互に独白する形で進む。性愛描写もあるが「抵抗はなかった」という。「ひたすら想像した。自分の記憶や寂聴さんの話もあるけど、この作品はやっぱり創作だから」

 男を捨てない妻と、出家によって男を捨てる愛人。描かれるのは三人の際だった個性と、底知れない孤独だ。「愛」という単純な言葉では語れない、何か。読者は本を閉じた後、ぼうぜんと考え込むことになる。

 「母は何も語らなかった。でも、父と同じお墓に入れて、と言った。最期は父のことを考えていたんじゃないかと。この本は私の出した一つの答えですが、本当のところは分からない。真実は瞬間的なもの。変化し続ける瞬間を書き留めるのが小説だと思います」

 これまで書いてきた小説にも、こうした男女関係が繰り返し出てくる。「無意識なんです。だから書くことのすべてが私にとっては謎解きでもある」という。

 もしあの世で二人が読んだなら−。「何も分かっていないよね、とニヤニヤするでしょうね。頑張ったね、ぐらいは言ってくれるかもしれない」とほほ笑んだ。

 朝日新聞出版・一七二八円。 (出田阿生)

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