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【書評】

徳政令なぜ借金は返さなければならないのか 早島大祐(はやしま・だいすけ)著

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◆棒引きを求めた人心が変化

[評]渡邊大門(歴史学者)

 鎌倉時代に発布された徳政令は、窮乏した御家人の債務を破棄するもので、大いに歓迎された。しかし、室町時代になると、様相が変わってくる。本書は徳政が拡大し、終焉(しゅうえん)するまでを詳しく描く。

 室町幕府成立後、幕府・朝廷・寺社が財政基盤を築くべく荘園の課税を強化し、荘園の住民は多大な負担に音を上げる。農業経営に携わる在地領主は、天災の被害も相まって経営危機に陥り、運転資金が厳しくなった。そこで、京都の土倉(どそう)(元は荘園経営代行業)は資金を貸し出し、本格的に金融業へ転換する。

 借金をする人の増加は社会問題となり、農民らの経済的困窮は、中世的な法秩序の崩壊をもたらす。中世には、借金の完済を規定した法と、利子払いなど一定の条件で借金を免除する法の二つが併存したが、完済しないことが常態化すると、借金の完済を規定した法が優越となる。

 借金の完済を規定した法が優勢になると、借金をした人は債務を帳消しにすべく、強硬手段に出た。それが徳政を要求する徳政一揆で、在地領主や農民、馬借(ばしゃく)(運送業者)など身分を超えた連帯が形成され、彼らは土倉を襲撃した。こうして徳政一揆は、地域社会の秩序を混乱に導いたのである。

 加えて、室町幕府は政策に徳政令を取り込み、戦争に動員した兵士の経済的負担を緩和すべく、債務を破棄した。しかし、応仁の乱の長い戦乱と徳政令が結び付くことで、人々にとって徳政令のメリットは失われる。

 戦国時代以降、在地領主は徳政一揆から離脱し、多様な身分で構成された一揆が徳政を主張しなくなった。人々はそれまで欲望の赴くままに行動し、徳政令を要求することで地域の秩序を乱したが、金銭の貸借で混乱をもたらすことを望まなくなったのだ。こうして人々のなかに、借金を返す意識が定着する。

 債権者と債務者が徳政を巡ってせめぎあいながら、時代を変革した経緯は興味深い。本書は徳政令だけでなく、中世金融経済史の入門書としても最適な一冊だ。

(講談社現代新書・950円)

1971年生まれ。京都女子大教授。著書『室町幕府論』『足軽の誕生』など。

◆もう1冊 

笠松宏至著『徳政令−中世の法と慣習』(岩波新書)

 

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