東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書評 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【書評】

胃弱・癇癪(かんしゃく)・夏目漱石 山崎光夫著

写真

◆文豪の意外な事実テンポよく

[評]南木佳士(なぎ・けいし)(作家・医師)

 夏目漱石が生涯悩まされた神経衰弱や胃潰瘍などの病気について、医師との関係や家族の証言、その他の事実を丁寧に調べあげた一冊。

 生まれてすぐ道具屋に里子に出され、さらに他家の養子となり、また実家にもどされた漱石は、このような生い立ちもあってか、長ずるにつれて厭世(えんせい)気質が強くなり、じぶんが変人であるとの自覚を深めていった。こんな変人がおのれを曲げずに生きてゆくにはどうすればよいか。

 まず参考にしたのは内科医・佐々木東洋と眼科医・井上達也。彼らの変人ぶりは本書に活写されている。きちんとした技術を身につけていれば、世間から変人扱いされても患者は押し寄せてくる。若き漱石が医者になりたいと思ったらしい、というのは驚きで、本書の世界にぐいっと引き込まれてしまう。

 なりたくても、医者嫌いの性分はいかんともしがたく、ならば建築家に、と方針転換。しかし、すこぶる優秀だが漱石以上に変人である高等学校の同級生の忠告を受け、文学の道に進む。この友人の生涯も本書に詳述されており、『吾輩は猫である』のなかに夭折(ようせつ)した人物として描かれているのだ、と教えてくれる。

 また、痰(たん)にわずかな血が混じって肺結核におびえ、北里柴三郎の診察を受けにいく漱石に付き添ってやった友人もいる。彼は松山中学や熊本五高への漱石の就職を斡旋(あっせん)してやっている。友人に恵まれていた、というよりも、漱石の才能を見抜いた友人たちが、世渡り下手な彼を放っておけなかったのだろう。

 東京帝大教授への就任要請を断って朝日新聞の「新聞文士」になり、神経衰弱や胃潰瘍を悪化させ、妻や子に緊張を強いる生活を続けた末、潰瘍からの出血により四十九歳で死亡。最後の主治医は『坊つちゃん』に登場する松山中学の教え子だった。

 他にいくつもの意外で興味深い事実がテンポよく、内容も過不足なく提示され、読み始めると止まらなくなる好著だ。読後、新たな視点で漱石作品を読み返したくなるひとも多いのではないだろうか。

(講談社選書メチエ・2052円)

1947年生まれ。作家。著書『小説 曲直瀬道三(まなせどうさん)−乱世を医やす人』など。

◆もう1冊 

中島国彦著『漱石の地図帳−歩く・見る・読む』(大修館書店)

 

この記事を印刷する

PR情報