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【書評】

近代の記憶民俗の変容と消滅 野本寛一著

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◆イロリの火で回る1年

[評]神崎宣武(民俗学者)

 いつの時代にも、暮らしの変化がある。ただ、それが緩やかであるか急激であるか。あるいは、ところによる差異が大きいかどうか。

 私たち、いわゆる高齢者層は、経済の高度成長における日常生活の急変を体験している。たとえば、竈(かまど)と羽釜(はがま)での炊飯法が電気釜に変わった。洗濯板が洗濯機に、箒(ほうき)が掃除機に変わった。おそらく、歴史上もっとも大きな変化で、そのところでは「生活革命」といってもよい。

 本書の著者は、「イロリとその民俗の消滅」(II部第五〜九章)に多くの紙幅を割いている。各地のイロリと吊(つ)り鉤(かぎ)や火棚(ひだな)の呼称、それらの機能、イロリの座位・座称、イロリと食物・食制など。それらは、これまでの民俗学調査でもとりあげられてきたが、より丁寧な説明が加えられている。年越しの火継ぎや灰の処理、行事時の仮設の炉などにも注意力が及んでいるのはさすがで、それによって、一年を通じてのイロリの火の穢(けが)れなき循環がみえてくる。

 「湯立ての竈、祭りの炉は神聖であるが共同体の火である」という一文が気になる。イロリの火は、神聖なるがゆえに、家族のみならずムラが共有する火として絶やしてはならない、ということか。が、その伝承が村落社会からも遠のいて久しい。

 著者は現在、八十二歳。国民学校に入学したのが昭和十八(一九四三)年であるから戦時中だ。「戦争と連動した民俗」という章が設けられているのは、静岡県の農村部で育った著者にとって、そうしたことの見聞が日常的であった、ということだろう。武運長久の祈願、家族や隣組での社寺巡拝、帰還の御礼参りなど。籤逃(くじのが)れの祈願や徴兵逃れの聞き書きには、えもいえぬ悲しさを感じることになる。

 戦時下の庶民の暮らしや心情に共感がもてるかどうか。私などは、同じ高齢者とはいえ、本書の著者にはとても及ばない。貴重な記録集である。願わくば、若い世代の人にも、わずか半世紀前まではこうした生活習俗があったという史実を知ってもらいたい、と切望する。

(七月社・3672円)

1937年生まれ。民俗学者。著書『神と自然の景観論』『生態と民俗』など。

◆もう一冊

野本寛一著『自然災害と民俗』(森話社)。災害列島で生きてきた民俗知を探る。

 

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