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【書評】

圓朝(えんちょう) 奥山景布子(きょうこ)著

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◆芸にもがく姿生き生きと

[評]堀井憲一郎(コラムニスト)

 不世出の落語家、三遊亭圓朝を主人公にした小説である。圓朝がひたすらに愛(いと)おしい。そうおもえる作品だ。悩み、苦しみ、挫折し、それでも売れようともがき続ける。その姿が描かれている。彼に共感し、ともに歩んでいるような気分になれる。「ここにずっと居たい」とおもわせる小説である。後半になると、残りページを指でつまみ、あとこれだけで終わりか、と惜しくなった。こういうおもいに駆られる小説は、ずいぶんと久しぶりである。

 圓朝は、いまの落語界では「大圓朝」と呼ばれる。彼の創作した演目がいまでも演じられるからだ。「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」「文七元結(ぶんしちもっとい)」「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」「札所(ふだしょ)の霊験(れいげん)」など圓朝の名とともにいまも高座で聞く。二十一世紀にも大きく影響を与える偉大な落語家である。

 しかし本作では、まず若い圓朝が描かれている。「売れたい」と強く念じる圓朝がとてもいい。芸人はみんな、ただただ売れたいとおもっている。「落語がうまくなりてぇ」と書かないところがこの作者らしい深さである。嘉永安政のころも、いまも、芸人の心持ちは変わらないということにおもいいたり、胸に迫る。

 また落語家の師弟は、特殊な関係である。落語家稼業は、師匠が誰であるかを明確にすることだけで保証されている。師弟関係は濃く、面倒である。圓朝と師匠、また圓朝と弟子の濃密で面倒な関係がきちんと描かれている。そこがたまらない。

 圓朝は天保の生まれ、維新のときにまだ三十手前だった。この作品では、歴史上の出来事ではなく、江戸に住む者の風景として「ご一新」が出てくる。匂い立つように描かれる消えゆく江戸の姿には、強い郷愁にかられてしまう。だから、ずっと読んでいたいとおもわせるのだろう。

 また、明治の半ばまで生きた圓朝には、いまに伝わるさまざまな逸話がある。あちこちで聞いたいくつものエピソードが、この物語にきちんと取り込まれている。その絵解きは、落語好きにとってもたまらない。嬉(うれ)しい仕上がりになっている。

(中央公論新社・1944円)

1966年、愛知県生まれ。作家。著書『葵の残葉』『時平の桜、菅公の梅』など。

◆もう1冊

三遊亭円朝著『怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎(ちぶさえのき)』(角川ソフィア文庫)

 

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