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【書評】

現代文学は「震災の傷」を癒やせるか 千葉一幹(かずみき)著

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◆哀しみにただ寄り添う語り

[評]横尾和博(文芸評論家)

 東日本大震災から八年、これまでに川上弘美『神様2011』、高橋源一郎『恋する原発』、いとうせいこう『想像ラジオ』など数多くの震災文学が生まれた。本書はその作品群を検証しつつ、「人は、人の死にどのように向き合ったか」を主題とする。六つの章からなる論の入り口で、作家たちの震災直後の衝撃と反応を概観し、当事者性に光をあてる。当事者性とは津波や原発避難の被災者か否かであり、被災者ではない者が書くことの疚(やま)しさの濃淡である。

 著者はハナシとカタリの違いを論じる。ハナシとは体験者が当時の状況を即興的に自由に言葉にしたものであり、カタリとは起承転結のある規則性(=物語性)に基づいて言語化されたものである。震災直後、作家たちは物語性を避け、即興的に対応した。被災から五年を経過した頃から、桐野夏生(きりのなつお)『バラカ』をはじめ、濃密な物語性を持った作品が次々に刊行されたのは、時の流れと語りの必然性がもたらしたものであろう。

 また、『ボラード病』で「絆」という同調圧力に違和感を示した吉村萬壱(まんいち)のアンチ・ヒューマニズムを紹介。震災の後景化として、直接震災を描かない沼田真佑(しんすけ)『影裏(えいり)』、松浦理英子『最愛の子ども』に言及したのも当を得ている。

 災害だけではなく、私たちは最愛の人の死にどのように臨むのか。著者は東北出身の宮沢賢治と妹トシの例を挙げる。「薤露青(かいろせい)」という詩から「あゝ いとしくおもふものが/そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが/なんといふいゝことだらう」を引用し、死の受容から鎮魂を踏まえて震災後を考える。これが本書の出口となる。

 著者は「人は愛する者との別れの中で自身の存在を支える愛する者を感じ取ることが出来る」と述べ、喪失の悲哀の中にこそ生の根拠を求めるのだ。いつも不条理な出来事は想像力を凌駕(りょうが)する。沈黙もまた言葉だが、言葉でしか語ることができない想念もある。文学は哀(かな)しみに寄り添うことしかできない。だからこそ震災文学は戦後文学同様、残り続けなければならぬ。

(ミネルヴァ書房・3240円)

1961年生まれ。大東文化大教授。著書『賢治を探せ』『宮沢賢治』など。

◆もう1冊 

川村湊(みなと)『震災・原発文学論』(インパクト出版会)

 

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