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【書評】

とめどなく囁(ささや)く 桐野夏生(きりの・なつお)著

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◆前夫の影に翻弄されて

[評]佐々木敦(批評家)

 桐野夏生はおそるべき想像力と筆力を兼ね備えた作家である。現実にもありそうな出来事、時には実際に起きた事件を題材としながらも、彼女の小説は強靱(きょうじん)で獰猛(どうもう)なパワーによって、読者を予想もつかない荒野へと連れてゆく。この新作も例外ではない。

 早樹(さき)は四十一歳。前夫の庸介(ようすけ)は八年前に海釣りに出かけて行方不明となり、遺体が発見されないまま時が過ぎ、死亡認定された。早樹は三十一歳年上の資産家、塩崎克典と再婚し、偶然にも庸介が消えた相模湾に臨む大邸宅で暮らしている。克典も前妻を亡くしており、現在は事業を息子に譲って早樹との悠々自適の生活を愉(たの)しんでいる。早樹は金銭感覚も生活パターンもまるで違う、自分の父親と同世代の克典に戸惑うこともあるが、何不自由ない新しい人生に安穏と幸福を感じている。

 ある日、庸介の母親の菊美から早樹に電話がある。息子に似た男を見かけたというのだ。見間違いだと早樹は思うが、その後も菊美は庸介に似た男を目撃し、さらに早樹の実父も庸介らしき男を見たことが判明する。夫は生きているのか。早樹は克典に告げず調査を始める。庸介のかつての釣り仲間を訪ねることで少しずつ過去が露わになってゆく。ヒロインが夫の失踪の謎に迫ってゆくミステリーを縦軸に、優しさと冷酷さを併せ持つ克典、克典の子供たち、特に父親と反目し合う変わりものの次女とのかかわりを横軸に、物語は進んでゆく。

 早樹がある登場人物に送るメールに、こんな一節がある。「私は庸介の生死について知りたいと思っていましたが、実は、庸介という人がどんな人だったか知りたいのです。そして、庸介と結婚していた私自身のことも知りたいのです」。この小説のテーマは、ここに集約されている。私たちは、家族や友人といった身近な人間のことも、そして自分自身のことも、実のところよく知らないままなのではないか。ラストには驚くべき真相が待ち受けている。だが真に衝撃的なのは、じわじわと浮かび上がってくる、他人と自分の秘密と未知である。

(幻冬舎・1944円)

1951年、金沢市生まれ。作家。著書『グロテスク』『東京島』など。

◆もう1冊 

桐野夏生著『OUT』(講談社文庫)。犯罪に手を染めた主婦を描く。

 

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