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【書評】

モロイ サミュエル・ベケット著

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◆伝統的な遍歴の物語を脱構築

[評]小倉孝誠(慶応義塾大教授)

 一九五〇年代、ヨーロッパでは文学の新たな潮流がいっせいに噴き出した。アイルランド生まれで、英語とフランス語で作品を発表したベケットは、その潮流を代表する一人で、『モロイ』は彼の代表作のひとつである。

 第一部では、モロイが母親の家に帰ろうとして各地を遍歴し、さまざまな人間と遭遇する。彼を尋問する警視、彼を泊めてやる老女…。足の麻痺(まひ)した彼には過酷な旅が続く。その旅は、自己探求の試みのようにも見える。

 第二部ではモランという探偵が、失踪したモロイを捜し出し、報告書を提出せよという任務を託される。彼は息子を連れて捜索の旅に出るが、足を負傷して移動が困難になり、森の隠れ家に留(とど)まる。捜索の任務が終了したと唐突に伝えられたモランは、やむなく家に戻り、そこで自分の体験を書き始める決意をするところで、作品は閉じる。

 ひとつの小説だが、第一部と第二部の間に有機的なつながりはない。主人公は異なるが、同じ物語の異なるヴァージョンのようにも読める。何かを探し求める遍歴の旅なのに、目的地に辿(たど)りつけないという点が共通で、主人公が過去を回想するかたちで自分のみじめな体験を語るという点も同じだ。旅の困難は、物語ることの困難さに通じる。

 『モロイ』は、一般的な小説の枠組みを戦略的に破壊しようとする。まず、物語の座標軸が欠落している。いつ、どこで展開するのかという時間的、地理的な指標がほとんどないから、読者を不安にする。次に、遍歴の物語はホメロス以来、西洋文学の伝統的テーマだが、ベケットはそれを脱構築する。旅の目的が見失われて、不条理で滑稽な細部ばかりが肥大していく。旅が主人公を成長させるわけではなく、モロイもモランも英雄的な主人公像から程遠い。

 第二次世界大戦を体験した世代にとって、それ以前の小説の構図に倣(なら)い、安住することは不可能だった。その不可能性の意識をひとつの作品に結晶させることで、ベケットはその後の文学に新たな可能性を拓(ひら)いたのである。

(宇野邦一(くにいち)訳、河出書房新社・3132円)

1906〜89年。小説家、劇作家。著書『マロウン死す』など。

◆もう1冊 

サミュエル・ベケット著『ゴドーを待ちながら』(白水Uブックス)。不条理演劇の最高傑作とされる戯曲。

 

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