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【書評】

天草島原一揆後を治めた代官 鈴木重成(しげなり) 田口孝雄著

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◆復興、基本は「民を生かす」

[評]浦辺登(歴史作家)

 寛永十四(一六三七)年の「天草島原一揆」は「島原の乱」とも呼ばれるが、天草四郎率いるキリシタンたちは徹底抗戦の末、幕府軍に鎮圧された。本書もその経過を記したものであろうと思い、表紙をめくった。ところが、その口絵には愛知県豊田市の香嵐渓(こうらんけい)、足助(あすけ)八幡宮の写真が並ぶ。はて…天草島原と愛知県豊田市と、どんな関係があるのかと訝(いぶか)りつつ、著者の語りに従って読み進んだ。

 天草島原一揆で立てこもった信徒たちは幕府軍によって全滅となった。その戦後処理の代官として派遣されたのが三河武士、鈴木重成だった。三河武士とは三河国(みかわのくに)(現在の愛知県東部)出身の武士団で、徳川家康の家臣として幕府創業に貢献したことで知られる。

 代官となった鈴木重成の戦後処理とは復興を意味するが、その策は感動的だ。耕作者不在となった天草島原の地に他所からの移民を奨励した。その基本には、「民を治める者は、何を措(お)いても、民を生かすことを考えなければならない」との思いがあった。

 荒廃した田畑からは満足な収穫を得ることは望めない。それを見越して、年貢の免除期間、比率に至るまで、民の立場に立って差配した。さらに敵も味方も平等であるという「怨親(おんしん)平等」の考えから、乱で命を落とした幕府軍、キリシタンの慰霊を行った。

 宗教政策では幕府によって絵踏が実施される一方、民心を安定させるため領内に寺社を設けた。人は牛馬のような、ただの労働力ではない。その心を養う場を寺社に求めたのである。重成の要請に応え、兄の正三も民衆の教化に当たった。正三は武士から僧侶に転じた人である。

 全十二章にわたる本書の圧巻は終章の最後に出てくる、カトリック、仏教、神道による宗教対話だ。異なる信仰から争いを繰り広げてきた人類の歴史を思えば、安寧の世を実現する試みとして、誰もが腑(ふ)に落ちる鼎談(ていだん)だった。ここに鈴木重成による復興策は、重成の没後三百五十年の時を超え、今に生きる宗教者たちによって完結したのだった。

(弦書房・2376円)

 1942年生まれ。鈴木重成を祭る鈴木神社宮司。共著『評伝 天草五十人衆』。

◆もう1冊 

 大橋幸泰(ゆきひろ)著『検証 島原天草一揆』(吉川弘文館)

 

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