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【書評】

日本捕鯨史【概説】 中園成生(なかぞの・しげお)著

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◆縄文以来の系譜 興味深く

[評]神崎宣武(民俗学者)

 昨年末、日本は国際捕鯨取締条約と、同条約に基づく国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を決定し、今年七月から日本近海での商業捕鯨を再開した。だが本書は、その是非を問うのではない。著者は三十年もかけて調査・研究してきた「くじら取りの系譜」(二〇〇一年刊行の書名)を、最新の状況や理解を踏まえて再度説くのである。

 まず、日本列島における捕鯨の歴史は、縄文時代早期末に始まる、という。だが、専業の捕鯨活動が実証できるのは、戦国時代後期。伊勢湾での捕鯨に始まり、ほぼ同時期の五島列島や対馬でも認められるそうだ。

 そこでの鯨取りは突取(つきとり)法が主流であった。銛(もり)の付いた棒(柄)を打つ。その銛先が棒から分離(縄が結んである)する法もあった。網を掛けて突き取る法もあった。銛を替えて、何度も打つ。それに熟練した鯨組が西日本各地で発達した。それが明治期まで続いた。著者はこれを「古式捕鯨業時代」とし、前期・中期・後期に分けて解説する。

 明治の三十年代になると、ノルウェー式砲殺法が導入される。その効率によって、捕鯨が企業化していく。これを「近代捕鯨業時代」とする。

 著者の主なフィールドは西海漁場(山口・福岡・佐賀・長崎の各県)。歴史を考察するにも『西海鯨鯢記(さいかいげいげいき)』(一七二〇年)が重用されている。

 捨てるところがない、といわれる鯨だが、その解体と加工はいかに。江戸期の太地(たいじ)(和歌山県)と生月(いきつき)島(長崎県)での解体風景の絵図が掲載されている。「砂浜を利用した解体場所に尻尾から上げた。砂浜は解体された鯨の各部位を置くのに都合がよく、鯨を解体するため自由に動き回る事もでき、潮の干満で血などの汚れも洗い流す事もできた」。まことに興味深い。

 鯨をめぐる信仰、芸能、食文化などを通して、日本人と鯨の共生文化がみえてくるはずだ。それも取りあげられてはいるが、印象が薄い。主題は「くじら取りの系譜」にあるので、むべなるかな。そのへんのところは次作に期待することとしよう。

(古小烏舎(ふるこがらすしゃ)・2052円)

1963年生まれ。長崎県の平戸市生月町博物館・島の館学芸員。

◆もう1冊 

小松正之著『日本の鯨食文化−世界に誇るべき“究極の創意工夫”』(祥伝社新書)

 

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