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【書評】

わたしのいるところ ジュンパ・ラヒリ著

写真

◆街角が映す彼女の孤独

[評]師岡カリーマ(文筆家)

 米国で数々の文学賞に輝く人気作家、ジュンパ・ラヒリが、英語ではなく、自ら選び学んだイタリア語で書いた初の長編小説である。

 四十代のインテリ女性が、一人称で語る一人暮らし。舞台は、ローマと思(おぼ)しき彼女の生まれ育った街だ。コーヒーとパニーノを注文するバール、こだわりの文房具店、海辺の洗礼式、田舎の別荘。写真雑誌の特集にしたらさぞかしステキな生活だが、彼女の描写は冒頭から物憂げだ。

 美術館で、プールで、夫のいる友人の家で。彼女の眼差(まなざ)しは今「いるところ」の風景に反射し、いつも孤独の確認となって返ってくる。劇場でチケットを買うことも、時間を正確に見積もって行動することも、彼女にとっては孤独の証(あかし)なのだ。でもやがて「独り」が実は彼女の選択でもあるということがうっすらと浮かび上がってくる。それでも彼女を愛してくれる街との交流を通して、内面的孤独は境遇からくる不幸ではなく、彼女が彼女であるための必然なのだと知るだろう。そのとき彼女は、きっと前へ踏み出せる。その旅路を私たち読者もともに歩んでみよう。

 ユーモアも強がりも排除し、憧れや失望と誠実に向き合い、繊細に描かれるありふれた日々の心象風景。母語ほどは心に近くない言葉で書いたという距離感は、この親密な心のポートレートをよりフランクで魅力的なものにしているかもしれない。しかし、英語で優れた作品を生んでいる作者が、表現手段として信頼に足ると判断してイタリア語で書いたのだから、和訳で読む私たちがあえてその点を強調するのは失礼だろう。

 多言語話者にとって言語はソフトウエアと似ていて、そのときどきに使うソフトによって、ハードウエアである体の動作は左右される。ではイマジネーションの延長である文学への影響は? その判断はラヒリ作品の愛読者にお任せしよう。個人的には、女性的な言葉が使われているわけでもないのに、最初のページからすぐに女性と分かる語りに仕上げられた秀逸な和訳に、称賛の言葉を送りたい。

(中嶋浩郎訳、新潮クレスト・ブックス・1870円)

1967年、英国生まれ。作家。両親はベンガル人。2歳で渡米。『停電の夜に』でピュリツァー賞など。

◆もう1冊 

ジュンパ・ラヒリ著『べつの言葉で』(新潮クレスト・ブックス)。中嶋浩郎訳。イタリア語で書いたエッセー。

 

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