東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書評 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【書評】

某(ぼう) 川上弘美著

写真

◆主人公は「誰でもない者」

[評]横尾和博(文芸評論家)

 著者のしなやかな感性にはいつも舌を巻く。3・11直後の放射能汚染をSF調に描いた『神様 2011』や遠い未来のディストピアを扱った『大きな鳥にさらわれないよう』は、想像力を極限まで広げた小説世界であった。本書はSFと恋愛の要素に哲学的な主題を取り入れ、人間の根源に迫った渾身(こんしん)の作である。

 主人公はこの世に突然あらわれた「誰でもない者」で、他のものの様子や姿に似せる擬態を繰り返す。記憶を持たず、自分の名前や性別、年齢もわからないその存在はある日、病院を訪れ、医師の指示により入院する。そして、女子高校生丹羽(にわ)ハルカとして暮らし始める。病院から通学する彼女に医師は日記を書くことを勧め、彼女は内向的な性格だが友人もでき、学校生活を謳歌(おうか)する。だがハルカとしての思考が停滞してきたある日、今度は男子高校生に変化を遂げる。彼はハルカと性格が異なり、女性とのセックスに関心を寄せる。

 その後、この「誰でもない者」は転変を繰り返す。高校の事務職員、キャバクラ勤めの美人、カナダで暮らす二十代女性、肉体労働に従事する男性。そのうち「誰でもない者」は変異の途中で同種を発見する。その存在は世界に百人くらいしかいない。ひかりという女の子に変わった「あたし」は、同種どうしの生殖で生まれた男の子みのりに惹(ひ)かれていく。そして、みのりの発育に合わせて自分も成長していくのだった。

 「誰でもない者」、すなわち「某」は移り変わるたびに自己を問い、他者や世界、共感、恋愛、死について考察を深める。その言葉の背後には哲学が潜み、ストーリーは読みやすいが、森羅万象に思いがいたる。つまり、本書は恋愛小説に擬態した哲学小説なのだ。

 かつて晦渋(かいじゅう)をきわめた文学で知られた埴谷雄高(はにやゆたか)は、「存在のなかにいる私達(たち)」との命題を発した。難しい。だが、本書はわかりやすく、かつ深遠だ。「某」とは惰眠を貪(むさぼ)る私たちのことか。読後にたどりついた結論だ。作者はさらなる高みへ向かっている。

(幻冬舎・1760円)

1958年生まれ。作家。著書『センセイの鞄(かばん)』『水声』『七夜物語』など。

◆もう1冊

川上弘美著『真鶴』(文春文庫)。夫が失踪した後の女性を描く物語。

 

この記事を印刷する

PR情報