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【書評】

カインは言わなかった 芦沢(あしざわ)央(よう)著

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◆空虚な「芸術」にとらわれ

[評]狩野(かの)博幸(美術史家)

 この小説に殺人犯の意外性はない。むしろ被害者の意外性の方が大きいといえる。

 ここで扱われているのはバレエと絵画だが、そこに批評家という者のうさん臭さが低層音として流れていることが、この小説に深みを与えている。最終ページを、主題となるバレエの演目「カイン」に対するバレエ評論家の予定調和的でうそ寒い文章で締めくくった。芸術批評家なる者たちへの痛烈な批評である。

 登場人物のなかで“芸術”からほど遠い市井(しせい)の人である皆元有美(みなもとゆみ)という若い女性が「自分には芸術というものがよくわからないのだ」「何か深いものを感じ取っているかのような顔をし続けてきた」「何もわかっていないことに気づかれないように、つまらない人間だと思われないように」と自嘲(じちょう)する場面に、私はこよなく共感する。

 バレエであれ絵画であれ、この小説に登場する“個性的”な人物たちは、ことごとく“芸術”なる概念に縛られ取り憑(つ)かれ、呪われている者たちばかりである。

 “芸術”が何ぼのもんじゃ。

 作者は、読者が読み間違うのを承知のうえで、そのことを実に静かに述べ続けているように私には思える。バレエや絵画の当事者のみならず、前述の皆元有美や松浦久文(ひさふみ)夫妻に多くのページを割いていることが、そのことを充分に示しているではないか。彼らは“芸術”などという空虚な言葉に取り憑かれたりはしない。地面を踏みしめている人間たちなのである。彼らが不動産屋の店員であったり不動産関係らしき職業であったりするのは、作者の狙い以外の何ものでもないだろう。

 先日、テレビでワイルダー監督の映画『情婦』を見た。クリスティーの小説『検察側の証人』の映像化である。事件をどのように見るかを問いただされる作品だが、この小説を読み続けるうちに考えていたのは、犯人が誰かであることよりも“芸術”などといううすら寒い空虚な概念に振り回される人物たちの挙動と言動であった。

 作者の類いまれな勇気に共感せざるを得ない。

(文芸春秋 ・ 1815円)

1984年生まれ。作家。著書『罪の余白』『バック・ステージ』など。

◆もう1冊 

芦沢央著『火のないところに煙は』(新潮社)。第7回静岡書店大賞受賞作。

 

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