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【書評】

匂いと香りの文学誌 真銅(しんどう)正宏著

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◆豊かな描写で蘇るシーン

[評]伊藤氏貴(文芸評論家)

 およそ匂いというものを人に伝えるのは至難の業である。ずいぶん昔のこと、スクラッチカードを配って、特定のシーンでそれをこするとその場面と同じ匂いがする、という映画があったが、一生懸命コインでカードをこする時点でなんとも興ざめだ。匂いにまつわる語彙(ごい)も少ない。

 しかしだからこそ、そこから匂いの立ちのぼるような文章に出会うと、われわれはその作品世界に引きずり込まれる。映像作品がいくらヴァーチュアルになろうと、嗅覚や触覚は伝わらない。ここに文学の活躍の場がある。

 既に『触感の文学史』という著書のある筆者が、このたびは古今の日本文学作品から匂いの際立つものを選んで読み解いていくときに、作品が新たな魅力をもって蘇(よみがえ)ってくる。匂いはまことに記憶と緊密に結びついて、意識的には思い出せなかったようなことまで掘り起こしてくれる。

 たとえば、漱石の「それから」における百合(ゆり)の香り。それは代助に、断ち切ったはずの三千代への思いを蘇らせるとともに、読者に忘れ難い印象を与える。ある決意の証しとして代助は部屋中に百合の花を撒(ま)き散らすのだ。むせかえるほど立ちこめていたに違いない香りが表していたものはなにか。この節を読めば、百合の香りを嗅ぐたびに「それから」のこのシーンを思い出すことになるだろう。

 人の身体(からだ)の匂い、香水と花の文化、などの章立てとは別に、巴里(パリ)や上海など土地の持つ固有の匂いに焦点を当てた章もある。われわれは自分とその周囲の日常的な匂いには気づきにくい。異国に行ったときに、ここが異世界だとまず教えてくれるものが匂いなのだ。永井荷風(かふう)の「ふらんす物語」、横光利一(よこみつりいち)の「上海」も、彼(か)の地を訪れたことのある者ならば、そこに出てくる匂いの描写とともに自身の体験を鮮明に思い出すだろう。

 本書にあるとおり、われわれの周りからは匂いそのものが急速に奪われつつある。匂いそのものが記憶の彼方(かなた)に消えようとしている時代に、匂いの持つ豊かな意味について考え直させてくれる一冊だ。

(春陽堂書店・2640円)

1962年生まれ。追手門学院大教授。著書『食通小説の記号学』など。

◆もう1冊 

真銅正宏著『偶然の日本文学』(勉誠出版)。小説の中の偶然を読み解く。

 

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