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【書評】

石牟礼(いしむれ)道子全歌集 海と空のあいだに

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◆草花に思想をみる悶え神

[評]齋藤愼爾(さいとう・しんじ)(文芸評論家、俳人)

 作家・石牟礼道子の文学的出発点に短歌があったことは知っていたが、その全容がこれほどにも豊饒(ほうじょう)かつ絢爛(けんらん)であることに驚く。十六、七歳の頃から詠みはじめた歌は、未発表歌も含めれば六百七十二首にもなる。「短歌は私の初恋。常に滅び、常に蘇(よみが)えるもの。短歌はあと一枚残った私の着物。(以下略)」。歌誌『南風』(一九五三年四月号)に発表された「短歌への慕情」での箴言(しんげん)は、方法論をも示唆し、象徴的である。

 ちなみに同年、歌壇は斎藤茂吉(もきち)・釈迢空(しゃくちょうくう)を喪(うしな)っている。その空白を綺羅星(きらぼし)の如(ごと)き新人の発掘で充填(じゅうてん)したのが、<前衛短歌の父>中井英夫であった。伯楽(はくらく)は虚空から薔薇(ばら)を掴(つか)みとるように、中城(なかじょう)ふみ子、寺山修司、塚本邦雄、葛原(くずはら)妙子、春日井建を捉えたのだ。

 中井が『短歌研究』で編集長を担当したのは一九四九年から五五年までだった。石牟礼の『短歌研究』への投稿が一年早かったなら、短歌史はどんな軌跡を描くことになっただろうか。

 一九八九年刊の歌集『海と空のあいだに』の巻末で、短歌に執着するのは「日々の実質があまりに生々しかったからではないか。日記を書かず、歌の形にしていたのは、ただただ日常を脱却したいばかりだったと思われる」と表白し、<わが洞(うろ)のくらき虚空をかそかなるひかりとなりて舞ふ雪の花>の一首で擱筆(かくひつ)する。

 石牟礼文学お馴染(なじ)みの祖母やタデ子らも登場。<狂へばかの祖母の如くに縁先よりけり落さるるならむかわれも><雪の辻ふけてぼうぼうともりくる老婆とわれといれかはるなり>に呼応する、「その夜を頂点に、ばばしゃまは私の中に這入り(中略)そこから先はあてどなく累々とつづく妣(はは)の国でした」の衝撃。

 水俣では、人が困っている時にそれを心配し、悶(もだ)え苦しんでくれる人のことを「悶え神」と呼ぶ。悶える人に入れかわる。悶え神である石牟礼道子は、知識人の頭骸の中に思想などみない。近所の夏祭や路地の草花の中に思想をみる。天は稀(まれ)にこういう人を地上におくる。だからこそ奇蹟(きせき)は存在するのではないか。

(弦書房・2860円)

1927〜2018年。作家。著書『苦海浄土(くがいじょうど)−わが水俣病』『椿(つばき)の海の記』など。

◆もう1冊 

石牟礼道子著『葭(よし)の渚』(藤原書店)。『苦海浄土』執筆の頃までを描く自伝。

 

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