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【千葉】

藤田嗣治と板倉夫妻の子孫が初対面 松戸の企画展縁、パリの交流に思い

企画展の会場で初の対面を果たした藤田嗣隆さん(左)と神崎眞子さん=松戸市で

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 20世紀初頭、パリに集った画家のグループ「エコール・ド・パリ」の寵児(ちょうじ)藤田嗣治(つぐはる)と、同時期にパリで創作に打ち込んだ松戸市ゆかりの画家、板倉鼎(かなえ)・須美子夫妻。3人の作品を集めた企画展をきっかけに、藤田と鼎の子孫が松戸市内の会場で初めて対面、「お久しぶり」と笑顔で手を差し出した。 (林容史)

 聖徳大学・同短期大学と松戸市・同市教育委員会の共催で「フジタとイタクラ エコール・ド・パリの画家、藤田嗣治と板倉鼎・須美子」が同大の聖徳博物館で十六日まで開かれている。大学が所蔵する藤田の油彩画七点、同市教委などが所蔵する板倉夫妻の油彩画十点が出展されている。

 初対面を果たしたのは藤田のめいの長男藤田嗣隆(つぐたか)さん(81)=東京都新宿区=と鼎のめい神崎眞子(みちこ)さん(78)=松戸市。「板倉鼎・須美子の画業を伝える会」会長の水谷嘉弘さん(67)が先月、偶然に嗣隆さんが都立高校の先輩と知り、二人を引き合わせた。

 嗣隆さんは、神崎さんと並んで作品を鑑賞し「あの時代、多彩な画家がよくぞ集まった。板倉夫妻の絵は色がきれいで、オリジナリティーがある。若くして亡くなった分、凝縮されたものが噴出したのだろう」と往時を追懐した。

 地元の神崎さんは開幕後、十回ほど会場に足を運んだという。今回、出品されている須美子をモデルに描いた鼎の「赤衣の女」は、通っていた市立中部小学校に飾られていたといい、「久しぶりに伯父の絵が見られた」と喜ぶ。「みんなが懐かしいな、と思って見てくれれば」

 神崎さんが嗣隆さんに「ブルーのネクタイがすてき。横顔が藤田画伯にそっくり」と声を掛けると、嗣隆さんも「昔から知っていたみたい」と笑顔で応じていた。

 一九二九年四月、藤田を中心にパリの日本人画家たちが結集した「仏蘭西(ふらんす)日本美術家協会」の第一回展に板倉夫妻も参加。独特な魅力を放つ須美子の作品を藤田が絶賛したことを、鼎が松戸の家族に宛てて書き送っている。二七年には、帰国する画家仲間の送別会で撮影した写真に藤田と鼎が写っている。

<藤田嗣治(1886〜1968年)> 東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)を卒業後、1913(大正2)年に渡仏。裸婦に代表される女性の「乳白色の肌」の美しさや猫を描いた作品が脚光を浴びた。

<板倉鼎(1901〜29年)> 県立千葉中学校を卒業後、東京美術学校入学。藤田の15年後輩に当たる。妻の須美子(1908〜34年)と共に1926(大正15)〜29(昭和4)年にパリに留学した。松戸市は20代で世を去った夫妻の画業の再評価を進めている。

 

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