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【千葉】

鋸山を日本遺産に 富津市と鋸南町協議会を設置へ 石切り場の遺構など

ギザギザとした独特な稜線で目を引く鋸山=富津市金谷で

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 日本の近代化を支えた「房州石」の産地として知られる鋸山(富津市、鋸南町)の石切り場の遺構などについて、文化庁の「日本遺産」認定を目指す動きが地元で加速している。来年春の認定を目指し、富津市と鋸南町の協議会は今年七月ごろまでに素案を取りまとめ、来年一月ごろに文化庁に申請する計画だ。(美細津仁志)

 断崖絶壁に突き出た岩から東京湾を一望できる鋸山の人気観光スポット「地獄のぞき」。その直下の岩壁で二月七日、登山家ら五人がロープを使って垂直降下し、長年岩肌を覆うツタを取り除いた。

 二〇〇七年から房州石を通じ、まちの活性化に取り組んでいる富津市金谷の市民団体「金谷ストーンコミュニティー」が初めて企画。ツタの伐採は、昨年十二月に開かれたトレイルランのイベントで参加者に募った寄付金約四十万円を活用した。市民約二十人もボランティアで参加し、軽トラック二台分の空き缶や空き缶などを回収した。

 同団体の代表で、トレイルランの実行委員長を務めた鈴木裕士さん(58)によると、石切り場の遺構は稜線(りょうせん)に沿って約二キロに広がり、その規模は国内最大級。鈴木さんは「日本遺産になれば、まちの観光産業が活気づき、国の助成で石切り場の保存や整備も進む」と期待する。

 房州石は火山灰が固まってできた凝灰岩で、江戸時代中期から鋸山周辺で採掘された。加工しやすく、耐火性に優れ、土木工事の資材として利用。最寄りの金谷港から東京や神奈川方面に船で運ばれ、お台場や横浜港などの工事に使われた。

 採石は明治−大正初期ごろに最盛期を迎えたが、一九二三(大正十二)年の関東大震災後、コンクリートが普及し、房州石の需要は減少。八五年ごろ、最後まで採石をしていた鈴木さんの父が操業をやめ、鋸山の石切りの歴史が終わった。

 富津市の高橋恭市市長は昨年九月、市議会で日本遺産登録を目指す考えを表明した。今年二月に始まった鋸南町との担当者協議では、石切り場の遺構▽山からの眺望▽千三百年前に開かれた「日本寺」(鋸南町)の信仰と芸術などをストーリー(物語)の核とすることを確認した。

 市は二〇一九年度予算に、調査視察費として十四万円を計上。四月には鋸南町と協議会を発足させる。

 日本遺産は一八年に七十六件の申請があり、認定は十三件にとどまる。市生涯学習課の担当者は、「申請まで残された時間は短いが、民間の研究の蓄積を基に素案を取りまとめていきたい」、鋸南町の担当者は「狭き門だが、鋸山を世界に発信するチャンス。申請に挑戦する意義は大きい」と話している。

<日本遺産> 文化庁が2015年度から地域に点在する有形・無形の文化財や伝統文化にまつわるストーリーを認定する制度。東京五輪が開かれる来年までに全国で100件程度を認定する。現在は67件で、県内では16年に佐倉、成田、香取、銚子4市の「北総4都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」が認定されている。

昭和20年代に鈴木裕士さんの父が切り盛りしていた、現在の富津市金谷の石切り場(鈴木さん提供)

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2月、ロープで垂直降下し、絶壁を覆うツタを伐採する登山家ら(富津市提供)

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