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【千葉】

<東日本大震災8年>東北の球児 笑顔 宮城県農業高とおおたかの森高が交流試合

流山おおたかの森、宮城県農業両校の野球部員とマネジャー=いずれも流山市で

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 東日本大震災をきっかけに、宮城県と千葉県の高校球児たちが交流を続けている。十五日午後、流山市の流山おおたかの森高校グラウンドで、同校と宮城県農業高校(宮農、同県名取市)野球部の交流試合が行われた。「震災で助けてもらい、今でもつながって試合ができる。毎回、楽しみにしている」。東北の被災地からバスで五時間近くかけてやって来た球児は笑顔を見せた。 (林容史)

 震災が発生した二〇一一年のゴールデンウイーク、被災して練習もままならなかった宮城県の別の高校を千葉に招いたのがきっかけだった。一三年、おおたかの森の野球部は宮城県に遠征し、ごみ集積場を職員やOBら総出で埋め立てた仮設グラウンドで練習する宮農ナインたちの姿を目の当たりにする。「そこに足を踏み入れた時、マリン(スタジアム)や甲子園にも匹敵するグラウンドだと感動した」。おおたかの森野球部監督の長倉伸一さん(55)は振り返る。これを機に両校の交流が始まった。

熱戦を繰り広げた両チーム

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 宮農は一八八五(明治十八)年に開校した伝統校。3・11の津波で校舎二階まで浸水した。部活動や農業実習で登校していた生徒約二百人は屋上に避難して無事だったが、卒業生が犠牲になった。

 震災発生から八年、宮農主将の木村翔さん(17)はプレハブ校舎で授業を受け、仮設グラウンドで練習した最後の世代になった。「もう、つらい思いはしたくない。震災に備え、自然災害について授業で学んでいる。もう一度来たら、先頭に立ちたい」と力を込める。

 十五日の試合はおおたかの森が先制し宮農が追う展開。着実に得点を重ねるおおたかの森に対し、宮農は最終回、スリーランホームランで意地を見せた。宮農ベンチは終始、元気な声が飛び交い、凡退した選手も笑顔で迎えていた。

 宮農監督の赤井沢徹さん(38)は「野球をしている姿を見てもらい、地元に元気、勇気を伝えたかった。震災は良くなかったが、それをきっかけに生徒たちは勉強している」と話す。

 長倉さんは「これから先、生徒たちは必ずくじけるときが来る。そんな時、もっと大変な状況でも野球をやっていた仲間がいたことを思い出してほしい。また、どこかで再会して話をしてくれれば」と願っていた。

 

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