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【千葉】

日章旗、74年ぶり郷里の風 米で保管 袖ケ浦の遺族に返還 

74年ぶりに里帰りした時田敏さんの日章旗。日章旗の左に見えるのは敏さんの遺影。前列右から3人目が遺族の幸子さん=袖ケ浦市役所で

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 太平洋戦争末期、沖縄戦で命を落とした陸軍中尉の日章旗が、故郷袖ケ浦市に住む遺族らに返還された。米兵が戦地から持ち帰り大切に保管していたもので、恩讐(おんしゅう)を超えた日米の絆が返還に結び付いた。平和への誓いを新たにする74年ぶりの「里帰り」となった。 (山田雄一郎)

 日章旗の持ち主は、陸軍中尉だった時田敏(とし)さん=享年(31)。旧平岡村(現袖ケ浦市野里)から出征し、記録上、一九四五(昭和二十)年六月二十五日、沖縄本島で戦死したとされる。沖縄戦の日本軍による組織的抵抗は同二十三日に終結したが、その後も米軍は残存日本兵の掃討作戦を続けた。

 十九日、袖ケ浦市役所で行われた日章旗の返還式には、時田さんの兄の孫、時田幸子(ゆきこ)さん(62)=同市野里=ら遺族六人が、敏さんの遺影を手に出席。出口清市長から日章旗を渡された幸子さんは「故人も懐かしい郷里に帰ることができ喜んでいると思う。時田家一同、感謝の気持ちでいっぱいです」と涙声でこたえた。

 敏さんは農家に生まれ、四人きょうだいの末っ子。結婚はしていたが、子どもはいなかった。形見に残されているのは戦前の勲章などごく一部で、遺族の一人によると、敏さんの両親は戦後、「もう少し戦争が早く終わったら生きて帰って来られたのに」と残念がっていたという。

 日章旗の大きさは縦約七十五センチ、横約百十センチ。汗でにじんだような跡があるほかは目立った破損もなく、一九三六年二月〜三九年七月の年月日、出征地などが達筆な漢文でつづられている。

 舞台は日本、満州、モンゴル、中華民国にまたがり、三七年七月に日中戦争が勃発すると、各地で戦闘や警備に当たった。三八年十二月にいったん故郷に戻ったが、五カ月足らずで再び大陸に派遣されるなど慌ただしい戦況がしのばれる。三九年七月以降は余白となっているが、その理由は定かでない。

 米海兵隊に所属し、沖縄で戦闘に参加したローバート・スティーブンズさん(故人)が持ち帰り、インディアナ州在住の遺族が大切に保管していた。日章旗返還に取り組んでいる「OBONソサエティ」(米オレゴン州)の活動に共鳴し、返還を希望。日本遺族会を通じ千葉県などに照会があり、敏さんの日章旗と判明した。

 

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