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【千葉】

カルピス誕生、師弟の物語 三島海雲と杉村楚人冠 我孫子で企画展

1917年3月2日の書簡。カルピス誕生につながる出資者の提言も報告されている(いずれも我孫子市杉村楚人冠記念館提供)

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 乳酸菌飲料カルピスの製造販売会社を興した実業家の三島海雲(1878〜1974年)と、戦前のジャーナリスト杉村楚人冠(1872〜1945年)を巡る人間模様が、我孫子市杉村楚人冠記念館で紹介されている。カルピスの誕生には、杉村の培った人脈が大きな役割を果たしたという。 (堀場達)

 カルピスが一九一九(大正八)年に発売されて、今年が百周年に当たることを記念し、企画した。三島が杉村に宛てた手紙を中心に、約二十点の資料から、草創期のカルピスや三島の事業を支えた人々の姿を追っていく。

 三島は浄土真宗の住職の子として、大阪府内で生まれ、龍谷大学の前身の西本願寺文学寮で学んだ。当時、ここで教師を務めていた杉村に出会い、二人は生涯にわたって親交を続ける。

 三島は二十五歳のとき、清朝統治下の中国大陸に渡航し、雑貨販売や軍馬調達などの仕事を手掛けた。仕事はいずれもはかどらず、一五年、辛亥革命を機に帰国するが、滞在中に現在の内モンゴル自治区で、牛乳を発酵させた「酸乳」という郷土食を知ったことが、後に運命を変える。

 帰国直後の同年十一月三十日に、生まれ故郷から杉村へ出したはがきには、上京して新たな起業を目指す三島の、希望あふれる心情がつづられている。三島は東京で設立した会社で、酸乳にヒントを得た発酵クリーム「醍醐味(だいごみ)」を開発する。醍醐味は雑誌「実業之日本」の記事で大きく取り上げられた。同誌の社長を、三島に紹介したのが杉村だった。

 一七年三月二日の書簡で、三島は杉村に、醍醐味が売れすぎて製造が追いつかず、次の製品を企画していることを打ち明けている。書簡では有力出資者から「醍醐味の廃副産物たる脱脂乳を菓子に製造せば、必ず有望ならん」と提言されたことも報告。この提言を取り入れた開発研究が二年後、脱脂乳に砂糖を入れて発酵させたカルピスの誕生に結実する。

 学芸員の高木大祐さん(41)によると、商品名カルピスや、キャッチコピーの「初恋の味」の考案にも杉村の人脈が深く関係していた。カルピスはインドなどアジアで用いられた古代語サンスクリット語の「サルピス」に由来し、三島が命名に当たり、意見を求めたのが、杉村と親交のあった浄土宗の学僧。「初恋の味」を採用するよう強く勧めた人物は、西本願寺文学寮時代の三島の後輩で、杉村の教え子だったという。

 高木さんは杉村が三島に「友人たちを惜しみなく紹介し、事業を支えた。三島も感謝していた」と指摘する。企画展「三島海雲と杉村楚人冠〜カルピスと友情の物語」は五月十二日まで。四月二十日午後一〜四時には三島海雲の評伝の著者による講演会を市生涯学習センターで開く。問い合わせは同記念館=電04(7182)8578=へ。

「酸乳」を知った中国滞在から帰国後、杉村に宛てた1915年11月30日の三島の手紙

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