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【千葉】

小出義雄さん死去 地元・佐倉などで戸惑い、感謝

市民栄誉賞の授与式に出席する小出義雄さん(右)と高橋尚子さん=2000年10月6日、佐倉市役所で(市提供)

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 二十四日に八十歳で亡くなった小出義雄さん。選手たちと共に五輪を目指したホームの佐倉市をはじめ、小出さんが若きランナーたちを育て上げた地からは戸惑い、感謝し、懐かしむ声が続いた。 (小沢伸介)

 「情熱はエンドレスじゃないでしょうか」。昨年十一月、小出さんは佐倉市の岩名運動公園陸上競技場で、四十年来の付き合いがある市陸上競技協会長の吉原広さん(76)と顔を合わせ、指導者として挑戦し続ける意欲を見せていたという。

 吉原さんは「半年前はやる気満々だったのに、突然の訃報でショックが大きく心の整理がつかない。ほめて選手を育てる指導が鮮明な印象として残っている。市内のマラソン大会では二年前まで選手を引き連れ参加して盛り上げてもらい、地元への貢献は計り知れない」と悔やんだ。

 長年にわたり練習拠点にしていた同競技場内には、高橋尚子さんのシドニー五輪金メダル記念額、有森裕子さんら世界に羽ばたいたまな弟子たちのサイン、ユニホーム、シューズなど二十七点が展示されている。すべて小出さんが寄贈したものだ。

小出さんと女子マラソンランナーゆかりの品々を見学する市民ら=佐倉市の岩名運動公園陸上競技場で

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 同公園を発着点にした金メダルジョギングロードが二〇〇二年四月に完成。二人のメダリストが練習で走っていたことにちなんだ十三キロの「裕子コース」と十キロの「尚子コース」が設定され、地元をはじめ全国の市民ランナーが走りに来ている。

 ジョギングしていた市内のマラソン愛好家の野方勝さん(69)は「実績を残した立派な監督で佐倉の誇り。昔、有森さんの走りを車から指導していたのを見かけたことがある。この一帯が走る人にとって良い環境なのは小出さんのおかげ。感謝している」と話した。

 一九七〇〜八三年に県立佐倉高校の体育教諭として陸上部を指導し、公立進学校ながら全国大会初出場を果たし注目を集めた。八八年に実業団のリクルートの監督に就任すると、佐倉の中心市街地に寮を建設して地元で指導を続けた。

 当時、近所付き合いをしていた鏑木町の新寿司(しんずし)の店主、西村潤一さん(64)は「いつも明るく楽しく、酒は何でもよく飲んでいた。国際大会の前に店で壮行会を開き、常連と交流する選手たちのリラックスした姿を覚えている。選手や佐倉への愛が深い人で、こんなに早く亡くなるとは思っていなかった」と悲しんだ。

     ◇

 小出さんは一九八三〜八八年に船橋市立船橋高校で保健体育を教え、陸上部の監督を務めた。最後の年に指導を受けたのが、現在は同校で長距離女子の監督を務める高橋孝典教諭(47)。訃報を知り「ショックです」と声を落とした。

 高橋さんが入学する一年前の八六年、市船橋高男子は全国高校駅伝で初優勝。「小出先生に教えてもらおう」と高橋さんは同校に進学した。「小出先生は冗談を言ったりして、常に明るい雰囲気をつくっていた。練習でもみんなに声を掛け、『頑張ろう』という気持ちにさせていた」

 高橋さんは当時を回想しながら、「その後、お会いしても『どうだ』を声を掛けていただいた。今の自分があるのは、先生の指導のおかげです」と小出さんをしのんだ。 (保母哲)

 

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