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【千葉】

貝殻77点 95年ぶり帰郷 「銀の匙」の中勘助が岩井海岸で採取

中勘助の貝桶を寄贈した高原とよ子さん(中)=いずれも南房総市久枝で、市提供

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 大正から昭和にかけ活躍し、自伝小説「銀の匙(さじ)」の作者として知られる中勘助(一八八五〜一九六五年)が所有していた貝殻七十七点が南房総市に寄贈された。勘助が岩井海岸・小浦の浜で一九二四(大正十三)年に採取したもので、九十五年ぶりの帰郷となる。寄贈した勘助研究家の高原とよ子さん(70)=大分県杵築市、ペンネーム「波野ときこ」=は「美しい貝がふるさとの海岸に帰り、これに過ぎる安堵(あんど)と喜びはありません」としている。 (山田雄一郎)

木製の菓子箱「貝桶」に収められた貝殻

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 貝殻は、勘助が二四年二月、当時の岩井村にあった旅館「橋場屋」に宿泊した際に採取し、木製の菓子箱「貝桶(おけ)」(縦十七センチ、横二十四センチ)に収納していたもの。ハマグリやホタテ、巻き貝とみられ、美しい形状と色彩を保っている。

 勘助は当時、竹内の大ソテツを見たり、小浦の浜を散策した様子を「貝桶」と題した日記につづった。今回の貝が、勘助の詩文のモチーフになったと考えられる。

 南房総市によると、貝桶は勘助の家で手伝いとして働いていた女性が勘助から譲られたという。その後、渡辺外喜三郎・鹿児島大学名誉教授に譲られ、高原さんが預かり、管理していた。高原さんは八八年ごろ、貝桶を巡り、橋場屋の女将らと書簡を交わす縁があり、南房総市と音信を保ってきた。昨年十一月に寄贈を申し出た。

 四月二十二日に高原さんが南房総市久枝の富山ふれあいコミュニティセンターに貝桶を持参。「管理上必要な費用にあててほしい」と十万円も寄付した。貝桶は外光による色あせに注意が必要で、同センター一階ギャラリーの木製展示ケースで保管する。

 南房総市は「九十五年の時を経て、公開機会のなかった遺産が戻ってきた。秋の文化祭など期間限定で公開したい」としている。

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<なか・かんすけ> 東京出身の小説家・詩人。夏目漱石の教え子で、漱石から絶賛された「銀の匙」がベストセラーになるが、文壇政治とは距離を保ち、「孤高の文人」と言われた。

 

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